七月に入り、寺はなんとなく慌ただしくなってきた。
境内の庭木や草花の勢いが強く、どんどん伸びてくる。梅雨は未だ明けていないため、蒸し暑い。暑くとも蝉はまだ鳴いておらず、妙に静かである。
なんという鳥であろうか、少し大きめの鳥だが、何度も境内にやってきては、しめ縄の白い垂れをしきりにちぎってどこかへ持っていく。巣作りに余念がないのだろう。いくつものしめ飾りが、今ではすっかりちぎられてしまった。初めてのことである。
早朝、本堂で黙想・祈念をこらし、洪鐘を打ち鳴らすと、音に反応して小鳥たちがチチチと集まる。しばらく、読経を共にするが、終わる頃にはどこかへ飛び立ち、また、元の静寂に戻る。葉群に、陽光が眩しく輝き、木々や葉の影が廊下に揺らぐ。一時、雀の姿が全く見えないときもあったが、自然が戻りつつあるのだろうか。
ここから、四キロほど離れたお堂を巡る。ひっそり佇むこの寺は山門と鐘楼が美しい。庭木に花々が咲き乱れる「花のみ寺」である。遠く山並みを見渡し、のどかな田園風景が広がる。
堂内の戸を開け放つと、近くの果樹を渡る香りともに、五色の幕が揺らめく。香が焚かれ、阿弥陀大仏のお顔には、笑みがこぼれる。朝日に光輝き神々しい。読誦するのは天啓の『本不生大神咒』。洪鐘を打ち鳴らすと、小鳥たちがチチチと集い、しばらく語り合う。そして、ぱっといなくなる。ここは、ゴーッという地鳴りと風を切る新幹線やカタコトと渡る東北線が直ぐ側を走る。そのたびにお堂が揺れ、西の丘の方には高速道路が走るのだが、しかし、如来の不生の沈黙性はシンとして微動だにせず、そこに顕現している。圧倒的な沈黙の深みをもってこれら全てを包み込み、深く浸透している。
こうした中で、しばし、平安を祈る機会を得てからというもの、心なしか、地震が収まりつつあるような気がする。それゆえしばらく欠かすことができない。不思議な緊張感をもって、朝な夕な、災害からの復興を念じ、黙想続けざるをえないでいる。
ある日のこと、鐘楼に登り、夕べの鐘を突きつつ、萬歳楽山に安寧の祈りを捧げていると、被災地への慰問を終えられた天皇陛下ご夫妻がお乗りになられた新幹線が側を通った。それに気づかせたのは高架橋の橋下を巡回し、待機しているパトカーの赤色灯であった。祈りを終えるとパトカーも役割を終え、静かに立ち去った。
この一瞬の予期せぬ巡り合せに、深く確信するものがあった。巨大震災から陛下のおられる東京は護られており、日本は沈没することはないということを・・・。なぜなら、萬歳楽山は天皇を護る霊山とされて、その名を冠せられているという天啓が降りているからである。(中国の故事にも由来している)
天与の『本不生大神咒』の黙祷。いま、これを欠かすことができないというのに、この愚僧のせいか、誰もまともに本気に扱うものはないようにみうける。みな世俗のことにかまけた復興に汲々とするばかりで、大事な阿字本不生のことをないがしろにしている。
オーン 空寂なる不生の仏心より 全てに透徹し
大宇宙大心霊 ブッダ・メタトロン・エノクとして曼荼羅界会を顕現したもう
ダンマの流れ マハーヴァイローチャナに 自ら帰依したてまつる
まさに願わくば われらをして 法眼圓明なる慈悲と愛と叡智の光明に満たし
不生の仏心たらしめ給え スバーハ
オンアミリタテイゼイカラウン オンアポロキティシュバラ
ノウボウアルナーチャラビジャランジャ
ノマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン
これをいつでもどこでも念じていなさいと告げられているのだ。
少し専門的で恐縮ではあるが、この「本不生」や「不生の仏心」について理解を深めていただくために、ナガールジュナ龍樹菩薩の『般若論』冒頭の「帰敬偈」を示そう。
滅するのでなく、生ずるのでない。断滅でなく、常住でない。一たるものでなく、区別のあるものでない。来るのでなく、去るのでないと、その方(仏陀)は戯論の寂滅した吉祥な「縁起生」を説示なさった正覚者である。
これは解説すると、このように理解される。外界における「変動」は、過去と未来の境の「今」に位置して「経過」し、消失して、常に改まっているので、無常な外界は「今」静止したものとして成立しないまま「経過」し、消失する。知覚原因は外界にある静止した対境ではないため、われわれには捕捉されない。したがって表現されることもない。
このように「経過」し、消失する「今」の「変動」に向き合いながら、生物は天与の知覚能力によってこの経過の「相続」を、瞬間毎に持続する軌跡の形に変えて「感受」する。このことによってわれわれは、生理機構の中に「現在」という一瞬の、虚構の滞留を構成しながら、そこに「縁起生」を進行させ、表象の知覚を成り立たせている。これ以外の方法で、外角の在り方は、生体にとって捕捉できない。
本不生は生体が捕捉するこの方法を超えた先験性である。
萬歳楽山人 龍雲好久