東南アジアの寺院には、本来の二つの眼の他に額等にもう一つの眼がある仏像が見られます。筆者の勝手な解釈ですが、この「第三の眼」は他者を見る本来の眼に対して、自分自身を見る眼ではないかと思っています。つまり、反省する心です。
人は仕事等に真剣に取組めば取組むほど、うっかりすると独り善がりの考え方や行動をするものです。例えば、経営者や管理者が「商品は安くすれば必ず売れる」「誰でも丁寧な接客を喜ぶ」「部下は待遇が良ければ従う」「支払さえ良ければ、仕入先や発注先は従う」等と考えて行動した結果が首尾良くいかないこともあります。このような時、自分がお客様(又は部下、取引先)であればどのような感想を持ち、どのような評価をするであろうかという反省の心を持つことが必要です。ところで、この第三の眼にはもう一つの機能があるようです。人間心理の裏表で、独り善がりで満足している人がある反面、自分の仕事の進め方に自信が持てなかったり、お客様や部下の感想や行動が不安で悶々と悩んだりするのも、この第三の眼(他者から見た景色)があるからです。他者を気にして、身動きが取れなくなることもあります。いずれにしても、この第三の眼は常に忘れてはなりませんが、過度に他者を恐れず反省の道具として活用する姿勢が大事でしょう。