トップ
サービス案内
沿革
事務所案内
税務会計ニュース
今月のお仕事
相続コンテンツ一覧
リンク
お問い合わせ
プライバシーポリシー
ご紹介できる先生方
作成日:2014/01/20
心の通信H26・1・16《万物の理論》

 年頭に際し、探求諸氏に、本年も幸い多き年でありますよう、心から慶祝ご祈念申し上げ奉る。

 さて、今回は、理論物理学や天文学、数学など科学の最先端の理論が、ブッダ親説阿字本不生から見て、極めて興味深い「万物の理論」すなわち、大宇宙の真実が解き明かされつつあることに言及することを(全く自然科学に無縁な者ではあるが)お許し願いたい。

 まず、あの天才物理学者ホーキング博士の「神はあるか」「自然界の法則を究めていくほどに天地創造において、神の存在の余地は全く無くなる」という宇宙の起源についての最新の物理学、量子力学、天文学の研究のレベルには驚かざるをえない。

 この研究は「万物の理論」を目指し、大宇宙が出現したビッグバン以前を追求しており、「大宇宙は、何も無いところからポンと光の玉が出現して大爆発を起こして、宇宙は始まった。そのことは素粒子の世界では日常茶飯事に起きている云々」というものであった。

 これは、まるで、「無から有が生じる」というブッダ親説の命題の如き展開がそこで紐どかれている。ホーキング博士の説を注意深く聞いてみると、ビッグバン以前の宇宙生成の起源を尋ねるには幸い大宇宙に観測可能なブラックホールが無数にあって、そのブラックホールの底の底の研究が可能になり、その研究から次第に明らかになりつつあることが、「究極の状態は時間が止まった状態。そこでは無だが、うごめくものがあってそこからポンとひょんな拍子にものが出現しそれが大爆発を起こして宇宙ができる」という。「ブラックホールの究極世界では時間が消える」というのだが、むろん、消えるという表現よりも、「ブラックホールの奥にいくほどゆがみが生じ、時間のスピードが遅くなり、最後は止まるかに見える」という言い方であった。これは、まさに、ブッダ親説のあの虚妄なる世界が出現する「無限小時」を指している。

 ビッグバン以降、宇宙の素材は「物質」「エネルギー」「空間」の三つであり、アインシュタインの理論からして物質とエネルギーは等しいという。大宇宙空間内ではプラスとマイナスのエネルギーはどんなに膨らんでも等しい量で、「大宇宙のエネルギーは貸し借りはなく(不増不減)の無尽蔵」だという。

 「宇宙の起源は時間も空間も無いところからきているから、作り手である神の入り込む余地はない」というのである。

 このホーキング博士の話を小生が正確に伝えることは不可能だが、ホーキング博士の話を要約すると「壮大な宇宙空間の始まりと終わりは自然の法則で説明が付く」という結論で、それ以前のものは「無」すなわち、「究極には時間が消失するほど圧縮された限りない一点までは計測実証可能だが、それ以前の状態となると、時間と空間のない世界となり、自然科学では把握しかねる」という意味で「無」なのではあるが、しかし「概念上の虚無や零ではない。」まさしく、ビックバン以前は「非有非空」あるという。現代物理学もこまで来たかと、世界教師・クリシュナムルティやゴーダマ・ブッダの領域に入ったと思わざるを得ない。

 しかし、こうした客観的事象の検証に基づき展開し続ける科学における「万物の理論」に対し、心の領域が抜け落ち、まるでゾンビワールドであるという批判がないでもない。法王と言われる立場の者や神学者達は「これ以上神の領域に深入りしてはならない」と警告を発する。心理学者や哲学者や唯識やヨーガ派から展開してきた今日の大半の仏教者あるいは観念論者達は科学者のカテゴリエラーを指摘し、警告を発している。だが、実は、こうした科学と宗教の対立は、すでにいまから2500年前にブッダがその当時の宗教のもつ欺瞞性を厳しく指摘しており、そのブッダの立場はむしろ、現代科学に近いものであった。

 とはいえ、「ブッダの親説」「阿字本不生」そのものも、実は、今日の仏教学においては、チベット学の世界的権威である仏教学者の最先端の研究によって明らかにされたばかりのものである。現代に伝わる多くの仏教学や仏教の既成教団が全く見落としてきたこのブッダ親説を直知することは科学者が大宇宙の万物の理論を直知しようとすることに匹敵するほど仏教者にとっても困難なのである。というのも、ブッダは対話はされたけれども、何一つ自分で書かれたものを残されなかった。それ故、ブッダ親説とはいえ、最もブッダ在世に近い古層経典の本質から読み取るしか無い。

 このような現代の仏教の事情も踏まえて、では、「ブッダ親説」と「科学の万物の理論」の根本的相違が残るとするならば、ブッダ親説によれば、ビッグバンとブラックホールは「常に今」であるという視点に尽きる。これを、「無」や「空」の領域を垣間見るほど究極の真理に近づいてきている「万物の理論」といえども、「宇宙の虚妄性」や現象の「先験性」の性質、つまり、「外界の実態は、先験(阿字本不生)より、過去と未来の境の〈今〉に位置して〈経過〉し、消失し、常に新な実態として更新される」という外界の実態における「実相」を科学は理論上、まだ、展開できないでいるように見受けられる。無理もない。科学はちょうど人間が歩いて宇宙の果てまでいこうとしているようなものだし、全宇宙が先験が今に新たである事実(実相)を直智するスケールにないからだ。物質・エネルギー・空間という素材が非物質・非エネルギー・非空間からきている。それは時間でも空間でもない本不生でありつねにいまだという全く新しい最先端の超理論にたどり着くのは、だがしかし、現代はもうすでに天才科学者によって紐解かれ検証の段階にあるのかもしれない。

 理論物理学の天才たちが挑む神の数式。一般相対性理論と素粒子の数式それを含み超える超弦理論。極微も極代も美しく調和されており、古代ギリシャの天地創造を表す完全数496であふれた。それに対し、課題を突きつけるホーキングパラドックスがブラックホールの奥底の無や時間が止まるところ、あるいは、数式で「無限大」あるいは無でしかでないブラックホールの極限で、なお熱が発生するのはどこからなのか?このブッラクホールにおける不可解なホーキングパラドックスに応えるものは今日の最先端の科学理論である超弦(紐)理論。ブッラクホールはわれわれの次元の観測からすれば時間や空間がない、全く無であるが、それは空虚ではない。超ミクロの視点で計算するとそこは、無数の弦で成り立つ無数の輪により編み出された膜、地のようなものがボコボコとうごめいている。それは、重力によりブラックホールが全宇宙を飲み込んだ極地。ブラックホールの奥底は素粒子が一つになることで動きがとれないし、数式上は無限大。超弦理論は弦がいくつもの紐でできており、ぶつかっても点にはならず、幕状となる。すなわちブラックホールのそこは、超ミクロの世界であり、超ミクロの世界は十一次元を動く世界であるが、それは幕がうごめいている世界でもあるという。そこが飽和状態になることで巨大な熱エネルギーが発生し、ポンと光の玉が飛び出して、それがビックバンとなり、宇宙の膨張が始まる。計算状われわれの宇宙は135億年経過し、なお宇宙の果ては膨張し続けている。宇宙は縦横高さと時間の四次元世界ではなく、ヒッグス粒子が検証するように、世界は十一次元であるという。しかも、このビックバンンを起こし膨張し続ける大宇宙がこの宇宙には数千億以上もあるということまで解かってきているという。この段階にきて、ホーキング博士は自分の誤りを認めた。

 さて、正月早々、探究諸氏には、筆者が何を言わんとしているのか理解に苦しまれたことであろう。

 ありのままの事実に即応する姿勢は自然科学もブッダの根本姿勢も共通しており、概念化し、心象化、虚妄化した有神論や実在論の欺瞞性はすでに哲学上、科学上、宗教上打破されており、この阿字本不生が「万物の理論」として実証されるときは「今」なのだということを申し上げたかった。

 奇しくも、弘法大師空海が『即身成仏義』のなかでこう述べられている。

 我覚本不生 出過語言道 諸過得解脱 遠離於因縁 知空等虚空 我覚本不生

 読者諸氏の新生創発の円満を祈らん。

萬歳楽山人 龍雲好久