その量子論の基礎理論に次の5つのものが重要なものとして上げられている。
1、光は波動性と粒子性をもつ。
2、電子も波動性と粒子性を持つ
3、一つの電子は複数の場所に同時に存在できる。(電子の状態の共振性)
4、電子の波は観測すると瞬時に一点に縮む。(電子の波束の収縮性)
5、電子の状態は曖昧である。(電子の不確定性原理)
6、人間の心こそがこの世を創造する。(電子論的唯我論)
そして、その量子論から次の幾つかの興味深い解釈が導き出されている。
1、ミクロの粒子は心を持つ。
2、人間の心が現実を創造する。
3、自然と人間は一心同体で以心伝心する。
4、空間は万物を生滅させる母体である。
5、万物は空間に同化した存在である(同化の原理)
6、空間のほうが物質よりも真の実体である。
7、物質世界のこの世が空間世界のあの世に、空間世界のあの世が物質世界のこの世に変わる。
8、実在は観察されるまでは実在ではない(自然の二重性原理と相補性原理)
9、光速を超えるとあの世に瞬時に渡れる。
10、未来が現在に影響を及ぼす。(共役波動の原理)
11、この世は全てエネルギーの変形である(波動と粒子の相補性)
12、宇宙の意志が波動を通じて万物を形成する(波動の理論)
13、祈りは願いを実現する。
以上は京都大学名誉教授岸根卓郎教授の『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』から引用しているのだが、宗教や哲学に親しんでいる人文関係の人々に通ずる内容となっている。量子論もここまで来たかと“コペンハーゲン解釈”に対する科学者たちの驚嘆も無理は無い。爾来、量子論は未知の分野にどんどん切り込んでいくのであるが、しかし、あくまで自然科学という立場で真理の解明をする科学者や天才学者達のお互いのいのちがけの探究と挑戦によって、天文学的マクロな宇宙から、不可視の素粒子にいたるまで飽くなき探究が続いている。そのような中で、上記のような解釈が科学的に立証されるということはきわめて興味深いことである。
もちろん、このほかにも量子論に関する説が幾つかあるが、西洋の物心二元論の解釈はいずれも壁にぶつかってしまっている。カプラが仏教や道教にそのヒントを求めようとしたのも、量子の世界が実に類似しているように思われたからであった。あれから科学は更に進展し、岸根教授が紹介する上記の理論も様々な科学的検証が加えらている。
そして、その検証に晒されているものとしては、岸根教授の採り上げる「電子論的唯我論」、「自然の二重性原理と相補性原理」、「共役波動の原理」、「波動と粒子の相補性」などである。これらを検証する新たな量子論はブッダの親説により近いものがあるので、更に興味深い。
では、この量子論の“コペンハーゲン解釈”は「ブッダ親説阿字本不生」からみるとどうなるのか。
量子論の“コペンハーゲン解釈”を精査すると、「波動性」は「本不生」を指し、「粒子性」は「虚妄性」を指していることが歴然としている。
結局、最先端の量子論が究極的に解明するものは「阿字本不生」にほかならないのではないかと思う。
ともあれ、量子論の基礎に阿字本不生を踏まえておかないと、「虚妄」なる世界を「実在」と見誤り、量子の時間と空間を超えた先験的真相を把握しかねる。そして、哲学か宗教が陥った虚妄に科学者たちも陥りかねない。
ブッダ親説の「外界における〈変動〉は、過去と未来の境の〈今〉に位置して〈経過〉し、消失して、常に改まっているので、無常な外界は〈今〉静止したものとして成立しないまま〈経過〉し、消失する。知覚原因は外界にある静止した対境ではないため、我々には捕捉されない。したがって、表現されることもない。」これをふまえていなければ、上記の量子論から導き出される「心」・「空間」・「あの世」の真相を見誤り、物心一元論と言いながら「色即是空」の誤った理解や解釈を加えることになりかねないのである。
さて、自然科学に関する門外漢の筆者がシリーズ的に取り上げざるを得なかった量子論の行方は、宇宙の真相、万物の理論を解明する上で不可欠のものであり、それを避けて通れなかったからである。読者諸氏におかれては不可解な点が多ければご容赦の程を・・・・。
萬歳楽山人 龍雲好久