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作成日:2014/07/19
心の通信H26・7・15《嗚呼鳥の歌が‥‥ 》

 春先、寺の本堂や阿弥陀堂につがいの鳥が頻繁に出入りしていた。しかも、われわれにしきりに何かを語りかけているかのようであった。

 先ず、早朝、本堂や阿弥陀堂を開放し、灯明と香を供え、静かに黙想する間のことであった。彼らは気づかれないようにそっと堂内を訪れ巡る。そして、必ず、或る仏たちの前にお供えの果物を啄んで、やがて、外にでる。それを一日に何度も繰り返すのである。

 はじめはお供えの林檎を啄んでいるとは全く気づかなかった。というのも、お供えの裏側を啄んでいるので、表から見ると食べられていることは全くわからない。気づいたときには、その林檎はあんぐりと大口を開いて笑っているかのようであった。それがあまりに可笑しく、ついぞ、鳥たちを追い払う気にもなれなかった。

 他にはと調べてみると、まるでわれわれに気づかれないように林檎を啄んでいるところは3ヶ所であった。

 今年は熊が里に頻繁に出没していると聞くし、笹に花が咲いているのを見たという話しも耳にしているので、山林には餌が不足しているのかもしれないなどと思いながら、正面の皮が薄くなるごとに、お供えを足してあげた。鳥の糞で堂内が汚れてもと思い、早朝、庭先に、お下げした果物を撒いてあげるのだが、ほんのわずかな黙想の間にすっかり食べ尽くされてしまう。しかも、堂内には同じつがいの鳥が毎日飛来し、香炉の灰を羽で巻き上げつつ、果物の裏側を啄んで帰るのである。

 このようなことは寺に65年住んできて、全くはじめてのことであった。

 その3ヶ所とは阿弥陀如来と大日如来と弘法大師の在す御前で起きていた。

 しばらくすると、本堂の天井裏が賑わしくなってきた。どうも、軒先でなく、天井裏に巣作りして、雛がかえっているらしい。親鳥が餌を持参する度に、雛たちがしきりに騒ぐ。そのたび親鳥の羽音や足音が天井裏でしている。雛たちは、早朝の鐘の音で目を覚まし、夕暮れの鐘の音で寝につく。雛たちは鐘や読経の声に慣れているのか、それでも、ご法事の読経の時は、まるで示し合わせたように、全く静かにしていてくれ、終わるとまた賑わしくなるのである。

 そのような雛たちの声を聞きながら日々を過ごしていると、昔。20数軒、軒先を並べ、実に大勢の家族がひしめき合って生活していた寺の長屋時代の頃の様子が懐かしく甦ってくる。

 雛たちの声はまさにあの時代の境内に遊ぶ長屋の人たちの暮らしぶりの声であった。ほめられたり、しかられたり、励まされたり、貧しい時代ではあったが、笑いがあり、涙があり、悲しみがあり、喜びがあり、実に、今思えば、生き生きとした時代であった。

 小鳥たちが天井裏から巣立ったのだろう、今ではすっかり静かになり、いつもの静寂さを取り戻した。この頃、境内での除染作業が始まった。除染作業はかなり丁寧に進められていたが、巣立った小鳥たちには無関係なのか、元気良く群をなして枝から枝へと境内を所狭しと飛び回っている。こうして、飛び交う小鳥たちや、公園で遊ぶ子供たちの声にも、この頃は力強さが甦ってきているように感じる。

 しかし、原発事故に伴う放射能汚染の恐ろしさは、こうした生命の基盤である天地自然をことごとく破壊し、種の保存に不可欠な遺伝子を壊してしまうところにある。その危険性は、決して解決されているわけでもないし、それこそ大きな天変地異が再び起こるならば、国土も地球もその環境を失っいかねない。そうなれば、今度こそ、住んでいられなくなり、流浪の民としての避難場所も失うのであろう。

 この聖なる地球のこの境内に飛来する小鳥たちは、いったい、私たちに何を語りかけているのであろうか。まるで、あの、長屋時代の子供たちのように毎日、毎日、無心に、天真爛漫に屋根や木々、草むら、電線に嬉々として遊び戯れる小鳥たちの声を聞いて、涙がこぼれる。嗚呼、かけがえのない尊いいのちと人生。この一瞬のいのち。二度とない人生だけに、何が起ころうと、自らいまを生きよ。決して、破壊されることのない魂の歌を歌えといわんばかりに、あの天上の『鳥の歌』が響いているような気がしてならない。

萬歳楽山人 龍雲好久