この寺は俳聖松尾芭蕉が活躍していた時代に建てられた寺である。開基和尚は芭蕉より10歳先輩で、芭蕉と同じ年に遷化している。
この時代は今のように人々が自由に往来できる時代ではないのだが、しかし、文化交流は極めて深いものがあり、不思議に思う。
今日の飛躍的な情報伝達や交通網の発達は、当時の状況に比すれば、天地ほどの違いであるのだが、文化の深みについては、自身を顧みて、なお、この時代に全く及ばないように感ずる。
享保4年5月に、この寺で俳聖芭蕉翁追善供養が開かれ、人々の暮らしに薫り高き豊かな正風を吹き込まんと、石に「芭蕉翁」と刻し、芭蕉が須賀川の等窮宅で詠んだ「風流の初めやおくの田植えうた」の短冊を土中に埋めて「田植塚」が立てられた。このような芭蕉翁を追慕する句碑は日本全国に約3000基ほどもあるのだが、その中でも、この寺の石碑は奥の細道中、東北ではもっとも古いものであり、今日でも、著名な俳人が時折、訪れてくる。
この芭蕉翁の苔蒸した石碑は、黙して何も語らないが、この折り、春と秋に発刊された俳諧誌『田植塚』乾・坤の写しが今でも残っている。それに目を通すと、この時代の文化の香りが漂ってくる。
この誹諧誌には挿絵があって、かつての寺の境内の様子や、乙女の田植え風景が描かれていて、当時の様子を今でも彷彿とさせる。
その句集は追善興行一人一句で、まず、句集の編者燕説から始まる。
風流の田うた揃えむ初手向
稽首して咲ゆりの一族
このあと30人ほどの句が続く。
そして、碑前手向として
5月12日導師を請し 朝日山におゐて供養をいとなむ。おのおの碑前に合爪して風雅安楽の華を捧げ奉るとして、
天も感じたりや供養の風涼し
蛍かな石碑のノの底ひかり
とふらいによれ芍薬の羅漢たち
奉るあやめに墓も動くべし
其流汲んで手向んかきつばた
と近在のものから遠方全国各地の俳人の句が百人ほど続くのである。芭蕉の高弟などの句が多く納められていて、俳諧草分けの頃の貴重な俳句集であるが、その初版本は小寺にその写しがあるほかは残っていない。
この俳諧誌に描かれたこの寺の境内の絵図を見ると、実に整った伽藍であった。400年ほど経た今では、当時の地勢を残して、見る影もない。が、それでも、田植塚や本堂、天神堂、蓮池、隠れキリシタンのマリア像など歴史の痕跡はかろうじて護り伝えられているのである。
さて、享保4年頃のこの寺絵図にに、清流と蓮池が描かれていて、その池は今でも残るが、雨水しか流れ込まないドブ池となってしまっている。ドブ池とはいえザリガニ目当ての子供たちで毎日賑やかである。
再び蓮池にしようと、たくさんの蓮を池に植えてはみたものの、ことごとくだめであった。ザリガニが、蓮の芽をすべてちょん切ってしまうのである。ザリガニの繁殖力はすごくて、毎日子どもたちがザリガニ釣りに来ていても、また早朝白鷺がザリガニを食べに来てもいっこうに減らない。大きな鉢に蓮を入れて、水面より高くしてみてもだめであった。
この池に蓮は無理だなあとあきらめざるをえなかった。65年以上この池に蓮が咲いているのを見たことは一度もなかった。
ところが、今年の夏は、蓮にとっては向いている気候なのだろうか、寺の北側の別の小さな池に、関西から頂いた蓮が池全面に広がり、色とりどりの美しい花を咲かせ、9月になった今でもまだ咲き続けてくれているのである。植え込んで2年目だが、こんなにいっぱい咲かせてくれるとは思っても見なかった。大きな葉の緑と高く伸びた先の蓮の花は実に美しい。池全体に葉が生い茂り、鳥から魚を守っていた。高い茎の華のつぼみがいくつも出ていて、毎日がとても楽しみであった。初めてのことである。
最初に開いた花は真っ白で実に清浄で気高く、気品のある白蓮であった。
確かに、今では、古代蓮などと称した蓮が大きな鉢に植え込まれて門前を飾る寺も増えてはいるが、やはり、池や泥田に自生する蓮の力強さと美しさには全くおよばない。
蓮の本当の美しさを毎日楽しませていただいた。
だた、この寺は前々からそうであるように、いつもと違うことが起きる時には、必ず、如来からの啓示が含まれていることが多い。しかも、如来の慈悲の光明が間近に示されるときには、決まって、我々にとっては、はなはだ困難な課題に直面することと一体である場合が多く、なにか深いわけがあるのであろう。とはいえ、これは不吉な予見というよりも、避けられない宿命、因果に苦しむことがあって、その大きな試練に直面せざるを得ない状況にあることを如来が察知されておられるかのように、不可思議にも身近な自然現象通して、警告を発せられるのである。
だが、この如来性というものは、何も特異な神々や仏菩薩明王が出現するのではなく、われわれのあるがままの現実という事実を通して発現されている。それゆえ、奇異な現象ではなく、どんな不可思議なことも自然法爾なのである。天地自然すべての生きとし生けるもののあるがままの事実の中にこそ、如来からの語りかけがなされている。その、語りかけに気づく文化が芭蕉の正風でもあったように思われる。
池に自生した蓮を見ていると、あのブッダの姿も偲ばれるのである。
かつて、ブッダは、戦争や疫病、自然災害や社会の不平等に苦悩する人々の傍らに立って、こう語られた。
「苦悩するものよ、あの汚泥に咲く蓮の花をご覧なさい。あなたの本性は、あの蓮の花のように、どこまでもまっすぐで、毅然としていて、力強い。かくも美しく、決して汚泥に染まることがなく、決して何者も穿つことの出来ない尊いいのちである。その、まっすぐないのちは生死という現象世界ではない「本不生」という「一者」からすべて発せられている。何者によっても破壊されることのない本不生のエネルギーとは、あの蓮の花のようなものである。
さあ、悲しむものよ、苦しむものよ、心を落とし、生きることを見失ったものよ、怒り、恐れ慄くものよ、おしゃべりに夢中になっているものよ、世をはかなんでいるものよ、虎視眈々と盗みを働くものよ、神のために正義の為に民衆のために自らを誇示するものよ、しばしとどまりてあの麗しき蓮をよく見給え。あの蓮の花に、混沌とした宇宙からほとばしり出た麗しき瑠璃色の大地(惑星地球)に、乳雲海が漂い、激しい稲妻の光が十方に放たれ、そのエネルギーは龍のごとき上昇と下降のエネルギーとなって生命体をはぐくみながら永遠の運動を繰り返す実相を顕し、その実相である如来性があの花をいま、ここに見事に全く新しい花を咲かせているのだ。混沌の中にとどまり固着するものは何もなく、あの如來性のみが、刻々と全き人生をいま、ここに、如実に生きている。君たちはすべての混沌から解き放たれた全き新しいのちをいきているのだよ。
何一つ、この働き、一者から離れるものはない。
しかし、なにゆえにこうも世界は激しい苦悩に覆われてしまうのであろうか。それは、この本質を見失い、自己欺瞞というどろどろした虚妄なる世界に病没しているからにほかならない。
すべての矛盾、欺瞞が何を引き起こすのかをまっすぐに見なさい。どんな恐ろしいことがあっても、君の本性は決して覆されることはない。そして、あの蓮の花のように麗しき人生の花を咲かし続けなさい。如来は君が苦しんでいるからこそ、いつも君とともにいることを知りなさい」と語られている。それをいま、ここで、再び聞いた。
45年も毎年伺っている師匠の寺の檀家さんのところで、暑い盛りの盆の棚経を終え帰ろうとすると、80近い亭主が、習いたてだという句を詠んでくれた。
棚経の僧の背あおぐ母おもう
棚経の僧の声残りて母しのぶ
萬歳楽山人 龍雲好久