朝(あした)に仰(あお)ぐ 遍照之霊光(へんじょうのれいこう)
夕(ゆうべ)に観(み)る 円明之月輪(えんみょうのがちりん)
この詩は恩師から賜った扇子に書いてあった詩である。
昭和48年1月、京都の東寺で行われた後七日御修法(ごしちにちみしほ)で大行事(だいぎょうじ)を務められた恩師がその記念として、弟子に請われて、ご書印くださったものである。
後七日御修法(ごしちにちみしほ)とは、今から千二百年ほど前、真言宗の高祖弘法大師空海が東寺に於いて国家安寧・世界平和・萬民豊楽を願って、天皇陛下の玉衣をお加持されて以来のものであるが、今日まで継承され、毎年、真言宗十八大本山の大管長猊下方が東寺に集まって、正月7日過ぎから一週間、国家安寧の新年の大祈祷が修法される。これは、真言密教最高位の僧による修法とされ、最長老で最高位の阿闍梨が最後に修する祈祷秘法とされ、いのちがけとなる。
我が恩師は昭和48年1月に行われた後七日御修法で大行事という「修法の大監督」を特別に数年にわたり務めることを請われた人間国宝の大阿闍梨であったのだが、その時に書いてくださられたものである。
あれから42年経つが、ふと、その扇が出てきて、大変懐かしく思って眺めている内に、これはこれは単なる扇子ではなく、密教の最奥義を印した大変な詩である事に気づいた(今更ながらではあるが)。今、これは新たな光彩をもって私の心に飛び込んできている。折しも、正月元旦午前〇時より紅玻璃色阿弥陀如来の新年の大護摩祈祷を修法している最中であった。
これは、密教行者の深遠な大境地でありながら、われわれ凡夫不可欠の日々の祈りである。欠けることのない如来の慈悲を体現する大切な祈りの詩であった。
その詩の示すところは 読んで字の如しであるが、いまの私にはこう響いている
新たな生命の目覚めの朝(生)
今立ち昇る朝日の大いなる霊光(大日如来)を仰ぎ
本不生の新たなるかけがえのない一日の躍動に尽さなん
夕べには 一日の働きを終えて、たとえ、未熟たりといえども、二度とない人生(死)と諦観(内観)し、あの圓明なる月の如く円満なる心もって、穏やかに、かけがえのない一日の巡り合いに感謝しつつ本不生の床につく。
一年一生 一日一生 刻々本不生 日々新たなり
どうぞ、この一年が みなさまにとって 心豊かなかけがえのない一年でありますように
合掌
萬歳楽山人 龍雲好久