この冬は本堂の屋根から落ちてくる雪も多く、かなり残っていたのだが、雨水も過ぎると、一気に溶けて、埋もれていたものが久しぶりに顔を出す。
朝明けの読経の中にも、漸う漸うと、陽光が射し込み、凛として輝く堂内にぬくもりが漂い、経の鐘に呼応する野鳥の声にも、待ちわびた春のきざしが漂う。
参道の岩室大師をお参りし、今日は、何か如来さまからのお知らせがあるかなとあのツクバイに目を向ける。
というのも、昨晩、夕べの祈りを捧げているときに、本尊を前にして、ふと、物質界と如来界という世界は、ブッダが指摘するように虚妄なるものだとしても、こうして物質界がわが目に映るように如来界を含む物質界の次元を超えた世界も映じさせる何かがあるのではないか。確かに、心や意識、無意識の世界、インド古来からの信仰であるアートマンやブラフマン、あるいは古代エジプトのアーメンやアミー。ギリシャ神話のゼウスやアポロン。プラトンのイデアやロゴス。ペルシャのミトラ神やザラトゥストラ。あるいはユダヤやキリストなどの絶対神や三位一体の神、大天使から精霊など洋の東西を問わず広がる信仰は、いかにそれが広大無辺で深遠な哲学や信仰であろうと、人類が描いた虚妄にすぎないというならば、あるいは、人類のこれまでの営みそのものが虚妄だということならば、はたまた、人間を含む大自然界、太陽系や銀河系、さらには大宇宙のみならずミクロ宇宙からマクロ宇宙に至るまでの有り様は虚妄に過ぎないというならば、そもそもそういった世界に生きている我々とは一体何であるのか。こうして、夕べに、祈りを捧げる自分も、ブッダの指摘から大いに逸脱した自己欺瞞そのものだということは否定しないが、しかし、如来性や仏心という虚妄ではない慈愛の根源に対し、虚妄にすぎない我々が一体どのように自覚できるというのであろうか、などと素朴な疑問が湧いていた。
さらに、この日、本堂の本尊の前で自問していたのは、最近、物理学や天文学などで話題になっている「物質とダークマターとダークエネルギー」に関することであった。
それはまだ理論上のことらしいが、小生には極めて興味深い理論である。
門外漢なので、正確には述べられないが、その理論によると、この宇宙(ビックバン以降138億年を経てなお加速膨張している宇宙内)で、「物質」はわずか5%だけで、残りの25%はダークマター、70%はダークエネルギーであるという。このダークエネルギーがなければ、物質の局所的宇宙が顕現し、存在することはなかった。そのダークマターとダークエネルギーは見ることができない未だ正体不明のものであるが、それがなければ銀河は現れない。というのも、銀河の構造を計算すると、普通の「物質」だけでは足りないことがわかって、見えている物質の重力だけでは星は散らばってしまい、銀河を形作ることができないということが明らかとなったというのである。
大宇宙の物質化で考えられるのが、光を通さず反射もしない何か暗いもの、ダークマターの存在が考えられるとして、観測を続ける内に、ダークマターは密集すると近くの光を曲げる重力的な力を持っていることがわかってきた。そうした何らかの力を及ぼすダークマターについてわかっていることは、検出できないので、粒子の雲ではないこと。ガンマ線を出さないので反物質(アンチマター)ではないこと。周囲に影響を及ぼしたくさんあるものの、ブラックホールほどではないので、ブラックホールではないこと。最近は、ダークマターは光を受けない未知の粒子なのかもしれないとも考えられている。
小生は「大宇宙の顕在化はこのダークマターの重力を伴う局所化の壮大なプログラムのようなものが背後にあって、いわゆる、ミクロ宇宙の素粒子、電子、原子、分子などからマクロ宇宙の星雲、銀河、惑星、身近には太陽系の地球などに繰り広げられる壮大な天地創造の進化の営みが起こった」と考えたいのだが、この壮大なプログラムというと、いわゆる、天地創造神やイデア、ロゴス、叡智、神、ブラフマン、アートマン、アーカシックレコードなど、いわゆる、遍在から局所へ、局所から遍在へ移動するカルマの輪廻を想定する古代宗教を連想し、それがもし宇宙の事実であるなら、小生は、ブッダの親説「虚妄の法」において、ブッダは一体なにを指摘されておられたのかよくわからなくなるという、ジレンマに陥らざるを得ず、本尊の前で思案にくれていた。
さらに、ダークエネルギーについては、ダークマター以上に不明なものではあるが、ブッダの親説本不生に通じる極めて興味深いものがあった。
1929年に天文学者のエドウィン・ハッブルが銀河から届く光の波長を調べ、赤い方に偏る現象を発見。この赤方偏移は遠い銀河ほど大きく、近いほど小さくなるので、ハッブルは「宇宙が膨張していることが原因」と結論づけ、空間が広がることで光の波長が伸び色が変わったと考えた。
近年、飛躍的に発達しつつある天体観測により、なんと、大宇宙はビッグバン以降、決して膨れ続ける風船のような閉じられた宇宙ではないこと。最近まで、宇宙は膨張するがやがてスピードはゆるくなり、止まる。そこから縮小しビッグクランチに至ると考えられていたが、天文学の観測機器の発達によって、その見解は、否定され、縮むどころか、宇宙はますます加速膨張しており、閉じられた宇宙ではないことが明らかになった。この、重力に反して、加速度的に膨張させるダーク(見えない)エネルギーが、どんどん流れ込んで新しい宇宙空間を新生し続けているというのである。
このダークエネルギーには全物質よりも大きく、アインシュタインのいう「重力に反する力」より大きな力があり、生まれ続ける粒子で大宇宙空間は満ちているが、それは現れてすぐに消えるものだという。そしてこのダークエネルギーが大宇宙の加速膨張の方向と時間の歴時性を決定している先験的エネルギーの実相ではないかという理論は、小生には、いわゆる(時間の歴時性。過去・現在・未来の時間ではなく、先験性が今に経過し消失しながら新たなるものが創造し続ける)というブッダの親説を彷彿とさせる理論である。
現代の大宇宙に関する物理学や天文学を研究する科学者たちは、こうしたダークエネルギーにより、大半の宇宙にはダークマターや物質の顕現できる余地は少なく、我々が観測している宇宙のようなものは重力と反重力の微妙なバランスの状態が出現してはじめて起こるという全宇宙にとっては極めてまれな現象、すなわち天地創造の営みであり、今ここで、人間として、壮大な宇宙を解明しながら目撃できることは、稀有のこととして喜びを感じているという。
このような最近の理論に触れたこともあって、小生は、所詮、足りない頭で考えてみてもわからないことなのだが、本尊如来の前での小生は思案にくれていた。そこで思わず、「この宇宙における物質・ダークマター・ダークエネルギーをコントローしているものは単なる宇宙自然の動きなのか、それとも、大いなる宇宙の意志が反映したものなのか、もし可能なら、誰にでも分かる形でお示し頂きたい」と、あの阿弥陀大仏に直接、問いかけたのである。平成29年2月24日夕方の勤行時のことであった。
そして、驚くなかれ!その翌日、平成29年2月25日早朝、法圓寺のあのツクバイの中に、氷による聖体出現によって、その応答が与えられたのである。それは、おそらく秘教宗教や哲学に無関心であれば全く無視されたものであろう神聖幾何学の三角四面体であった。これは虚妄なる大宇宙界を次元コントロールする本不生のシャフトの存在を明かすものかも知れない。
まさしく、今、全人類が直面している重大な局面にあって、後戻りの効かない破局を回避すべく、人類の誤った意識の流れ、実は、自らのその不調和なエネルギーによって、核戦争が引き起こされてしまう前に、自然界における大規模な天変地異が起きる。その、巨大な大転換は地球上のあらゆる生命体に及ばざるを得ない。その混乱と破壊を招いたのは人類の意識であるが、今、人間だけではもう手の施しようがなく、人類の意識を変革すべく、見えない宇宙が動き出していることを暗示する、驚愕すべき聖体出現であるかもしれない。
その本当の意味については、小生には全く説明不能だが、実は、この秘儀を昭和51年にある恩師から密かに直接伝えられる事もあって、そのことを如実に示す現象が、このツクバイにヒトの作為によってではなく、自然現象として今ここに示されていることに驚愕している。この氷によって出現した神聖幾何学の四面体の三角錐は、今ただならぬ岐路に立つわれわれ人類の意識の変革を促す見えざる宇宙の力のはたらきにシフトすべきことを示しているのだろうか。読者諸氏に一考を促すべく、今ここに示された顕現の写真を記載しておく。併せて、平成20年2月以来、今日まで10年の間にわずかながら示された聖体出現の写真を記載しておく。そこには人知を超えた宇宙からのただならぬメッセージがあるような気がしてならない。
萬歳楽山人 龍雲好久