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作成日:2017/09/20
心の通信H29・9・9《見えざるもの》 

 台風が過ぎ、久しぶりに射し込む陽光にほっとする。この夏は長雨のせいか、9月に入っても草木はまだまだ色濃い。本堂前の鉢蓮は葉が少しずつ枯れ始めたが、北側の池の蓮はまだ勢いがあって、蕾がいくつか残っている。庭の萩も花はまだ開かないが、心地よい微風にゆらいでいる。

 そういえば、雨降りには聞こえなかった秋の虫の音が心地よい。遠くの森では、遅れを取り戻そうとミンミンゼミが必至に鳴いている。

夏のおわりと秋のはじまり。久しぶりの陽気に、限りなく深く、慈しみに満ちて、どこまでも閑静であった。

 この夏、ずっと、石の水鉢に出現したあの氷の神聖幾何学三角四面体の秘蹟(コトワリ)のことを探求していた。探求すると言っても、寺に奉仕する小生にとって、盆の期間は、自分が世話になっている寺と修行時代に世話になった寺と5カ寺ほどの盆行事に明け暮れるので、七月、八月は全く自分の時間を取れずに過ぎてしまうので、盆供養に刻々に従事しつつ、心の何処かで、ずっと探求し続けるようなものであった。この間、上京を四、五回繰り返し、盆行事のために寺を巡り、家々を巡るのであるが、この忙しさは、急流に巻き込まれ、滝つぼに落ちるようなものである。この流れは学生時代から繰り返されているので、なれたものではあっても、年々、老いるごとにキツくなる。ただ、有り難いことには、いつどこにいても、見えざる彼岸の仏や精霊の阿字本不生(潜象)界とこの此岸の現象界の重合する域で、祈念を凝らさせていただけるので、どんなに過酷な環境にあっても、全く、抵抗に触れることはなく、まるで、沈黙の風のように、心は穏やかで閑かであった。

 実は、この見えざる彼岸の仏や精霊の阿字本不生(潜象)界とこの此岸の現象界の重合する域の実相(コトワリ)を如実に示しているのが、石の水鉢に出現したあの氷の神聖幾何学三角四面体の秘蹟が指し示しているコトワリであることを確信したからであった。

 そこから導き出されたものは、宇宙は見えざるダークネルギー(70%)と見えざるダークマター(24.5%)と物質(4.5%)で構成される大宇宙球であり、遍在化する宇宙力(波動性)と局所化する宇宙力(粒子性)がそれぞれ神聖三角四面体の正と反(此岸と彼岸における上昇と下降)の重合となり、自転・公転をおこし、素粒子・電子・原子・分子・鉱物・植物・動物・惑星・恒星系・銀河・星雲、大宇宙として、ミクロ宇宙からマクロ宇宙に至るまで、三角四面体の正反重合による八葉蓮弁の大宇宙体として統合されていることであった。

 密教では三角四面体の正反を三業(現象界)と三密(如来界)として扱っている。山伏や死者に三角の頭巾をつけるのも、この三角四面体の彼岸と此岸重合性を示している。卑近な表現で言えば、三角四面体の正反重合とはあの世とこの世は見えざる世界と見えている世界でわけられているようだが、一つの球体として統合された全体の局所化と遍在化の両面性による自転・公転の生々流転の実相を指している。

 そして、重要なことは、われわれの目に見える存在を「現象」といい、目に見えぬ存在を「潜象」というのだが、「潜象」と言うのはそこに存在しているのだが、いかに、物質や波動を実体視する科学技術がいかに進歩しても、「潜象」は、直接把握できるものではないこと。我々はその「潜象」が「現象」化されてはじめて認識するが、その現象化されているものは、「刻々に発生し、刻々に消滅するイマの統合的カタのなかにあって、潜象から刻々に新たなるイノチとしてイマここ、イマここと絶えざる新陳代謝、すなわち新生創発されている本不生の実相であることをこの神聖三角四面体のコトワリが示している。

 これは、まさにブッダ親説の根幹にある「先験より今に経過し消失し続ける」空性の原理を明らかにするものであった。

 つまり、われわれを含め万生万物は阿字本不生の遍在性(ダークエネルギー)からヒエラルキー的に局所化すべく、六大(地大・水大・火大・風大・空大・識大)法身(ダークマター)の加持身(雛形)が形成され、それが大宇宙大自然界として現象化しているのだが、現象化したものは実体ではなく、ダークエネルギー・ダークマター・現象物資を瞬時に貫く、さらに普遍的見えざるもの(本不生)が刻々にイノチを吹き込んでいるいうことである。

 見えざるが故に「空」というが、消滅それ自身は観念的なゼロや無になることを指すのではなく、捉えることはできない遍満している本不生がダークエネルギーやダークマターとして重合しつつ、刻々のイノチを新たに創出し続ける実相を「空」と表現している。

 この意味で彼岸と此岸は一体である、昼夜のごとく、北と南のごとく、個個のイノチは全体性の中で刻々に正反三角四面体の重合球体として自転公転する型の中に、常に新たに創出されているものである。

 ということは、われわれの祖先や先祖を含め祖師先徳がたは現象的には亡くなっているが、「潜象」として現存し、如来や菩薩、諸天善神、守護指導の球体として、遍在的に絶えずイマココのわれわれに直接関わっていることにほかならない。

 あるがままの世界にこの直観の気づきをもって活きていた日本の祖先の見えざる思いが、この寺の石の水鉢に今年、二度も神聖三角四面体を出現させたのではないかと思っている。

 とは言え、我々は東日本大震災以来、非常事態をつげる警報音に過敏にならざるをえない。早朝、兼務寺の勤行を終え、自坊に戻る車中で、いきなり携帯電話の非常警報音がなり、何事かと見てみると「北朝鮮がミサイルを発射し、日本に向かっている」というものであった。核の脅威が現実化しつつある中で、何かがはたらき、それを回避すべく、ギリギリの状況にあることを、この神聖三角四面体マカバ出現は物語っているのであろう。われわれひとりびとりが覚悟せねばならない事態なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、寺に戻った。

 まるでそのようなこととは無関係のように、秋の虫や、夏を惜しむセミたちがしきりになき、我々は静かなひとときの中にいる。

 この夏、盆行事に埋もれつつ、神聖三角四面体を現した見えざる「潜象」のブッダ・メタトロン・エノクに調和と平安をお護りくださるようひたすら祈る日々でもあった。

萬歳楽山人 龍雲好久