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作成日:2018/01/20
心の通信H30・1・15《大自然に対する加持感応・直観力の回復》

 科学の進展は凄まじいものがある。人類社会のあらゆる分野に革新的な研究と開発をもたらし、そのグローバル化と細密化は、これまでの古典的な理論をすべて覆すほどの勢いである。特に情報社会におけるネットワーク拡大網は瞬時にして地球全体を覆い尽くす。

 しかし、その科学が革新的に発達すればするほど、次第に明らかになることは、天地自然界がきわめてより深く、より精妙なネットワークによって統合化された宇宙であり自然界であることの全体性である。人間も動物も植物も鉱物も海も大地も大気も宇宙も、科学技術の伸展により、より複雑で精妙で統合化された生命体であり、極微から極大に至るまでそれらを貫き通し統合化するネットワークシステムが次第に明らかにされつつある。

 とはいえ、この大宇宙大自然界に張り巡らされているネットワークの無限さは、今日、人類が開発してきた日進月歩のスーパーコンピューター、あるいは、圧倒的で飛躍的な処理能力を有する量子コンピューターといえども、まだまだ、端緒についたばかりのレベルでしかない。たとえば、ようやく、最近になって明らかにされつつある我々自身の人体の構造はまさしく大宇宙そのものに匹敵する奇跡的な臓器ネットワークシステムを通し、連携し、対話し、反応し、人体として統合化されている事実一つを見てみても、現在、我々が地球上に張り巡らしているインターネットなどを含めた情報のネットワークなどは、人体に張り巡らされている自然のネットワークに比すれば、まだまだ不完全で断片的、微視的で未熟で粗雑。不安定そのものである。まだまだ開発途上のネットワークにすぎない。くだんのIPS細胞も天地自然の創造力から見ればまだまだ微弱そのものである。

 その、いかに進歩したとは言え、未熟な科学によってもたらされる文明の、今日、最も深刻で急を要する最大の課題は、未熟で粗雑な科学が大宇宙大自然界の統合性に至らず、自然界を狂わせ破壊しつづけ、地球を墓場と化す現状にあることである。果たしてそれを差し止めることは可能であるのか。昨今の世界情勢をみるに、全く絶望的としか言いようがない厳しさにある。

 しかし、ことは深刻なだけに、安閑としてはいられない。われわれの子孫の時代に絶滅の危機を味わわせるようなことがあってはイマを生きている我々の悪業の極みである。絶望かも知れないが立ち上がらなければならない。自然も人類も含めあらゆる生命は宇宙と同体であり、それほど軟なものではない。まず、自然界のあらゆる生命体に深く関わる循環システムを回復できるかどうかにかかっている。温暖化や砂漠化を防がなければならない。果たして、豊かな森林や河川、海の恩恵にあやかってきた奇跡の列島日本の風土が覆されてしまうのか、蘇るのかは、まさに、地球そのものを緑青き豊な自然環境を蘇させられるかどうかに深く関わっているであろう。日本人としての世界における役割があるとすれば、先ずこのことが挙げられるであろう。

 それには、科学が生み出したコンピュータロボットになって、破壊した地球を捨てて、他の惑星に移住するなどという計画を推進する以前に、地球人として、大宇宙における奇跡のみわざを直観できる生命体そのものとして、ヒト自身が天地と合一する人類に進化しなければならないのであろう。それが、大宇宙における奇跡の惑星地球に住まわせていた だいている我々の役目であろう。

 今の文明社会は、既にご存知のごとく、自然も人類もその生きるシステムを破壊し、退化させ、消滅させる方向に走っている。それを、押しとどめ、方向を大転換させるためには、人類はいかにあるべきか。きわめて深刻な世界情勢、環境破壊の状況のさなか、いま、世界中の見識ある人々が注目しているものに、奇跡の列島日本に育まれていた上古代から縄文時代にかけての文明がある。それは、事実、数万年もの間、人類同士の搾取や争いもなく、文明の興亡もなく続いた縄文の文化である。しかし、なんと愚かなことに、日本人自身の多くは、単なる遺跡としか見ていないどころか、未開文明として蔑視さえしている、神代から今日に至るまでの天皇のもとにまとまってきていることの奇跡に近い事実を単なる神話で片付けてしまった。愚かな人類だけが権力の象徴として、権力争いを繰り返し、平等を説くものが、最も不平等な社会と権力構造に陥っている。この世界の現状を見れば、数万年、平和で安定した、あらゆるイノチが共存共栄して生きてきた文明は、世界の歴史上、日本の上古時代から縄文時代の文明をおいてほかにはないと、人類滅亡の危機感を持つ世界中の学者たちが、その危機を救う文明のあり方の一つとして、日本の上古・縄文時代のありように注目している。

 天地人合一のコトワリに感応道交し、直観していた上古代人のあり方こそが、指針となる時代に入ったのであろう。

 これは、単なる懐古主義ではない。人間そのものの本来の直観力、すなわち天地自然の潜象・現象のコトワリを直観できる能力(現代人が自然界との関わりを失い、上古代人よりも著しく退化させてしまった直観力)身につける在り方を可能にする、あらゆる「道」を活かして、統合的に宇宙自然との共生の道を探り、創造的に動いていく人間に成長しなければならない。それにはどうすべきか。現代はそれが最も問われている。気付いている人は既に動き出している。我々も動き出さねばならない。先ず、一人一人は、だいそれたことよりも、先ず、自己凝視・自然凝視による直観力の回復である。理屈や理論の欺瞞の偏見に終止符を打たねねばならない。さあ、始めよう。

萬歳楽山人   龍雲好久