平穏に令和元年を迎えることができ、まことに有り難く、慶賀に堪えない。
平成から令和への御譲位の奥には、新しき時代を切り開く愛しき者達への深い思いが込められているような気がしてならない。
戦争のない平和な世界と、どんな困難が押し寄せようとも、互いに協力しあい、扶けあって、道を切り開き、生き抜いていって欲しいという、切実なる念いと祈りが込められているように思える。戦争や災害の過酷で悲惨な苦しみに苛まれたものにしか理解できない「日常のなにげない平穏なる生活こそ、貴くかけがえのないものであり、このことこそがまさに奇跡であるから、その平安を失うことにならないように」と、太古の祖霊から後々の遙かな世代にもわたる通底音のようなヒビキ、いのちの深いところから響いてくる「願い」であり、「祈り」であるように思える。
かつて、聖徳太子が十七条憲法の第一条に「以和爲貴、無忤爲宗和」(和を以もって貴とうとしとなし、忤さからうこと無きを宗むねとせよ。)すなわち、「和を最も大切なものとし、争わないようにしなければならない。」と制定したのも、まさに、今日の「令和」に通ずるあらゆる人々の「願い」であろう。
寺で日々供養する般若理趣経の最後に、次のような「廻向文」がある。
「われらの修せし 功徳をば さとりのために 廻向せん
ただねがわくは あわれみて 救いのみ手を 垂れたまえ。
天にましますかみがみも この地にいます まもりがみ
大師もともに 法楽し すべての霊もさとりませ。
万生やすらかに いやさかえ 万物おだやかに さだまらん
道をもとむる ひとびとは 罪をほろぼし 善をなし
さとりのねがい たゆまずに すべてのものを みちびきて
ひとしく阿字の 地に入らん」と。
これは、日本に限らずどの国においても、このような願いは普遍的なものであろう。本来、人として家族や国の安寧や繁栄を願わないもはいないと思う。
さて、報道によると、令和という新元号の典拠は万葉集の「梅花の歌三十二首」の漢文で書かれた序文「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」からきているといわれる。この度の元号の出典が万葉集におかれたことは、日本人にとっては格別のものであった。
この歌は天平二(730)年正月に太宰府長官大伴旅人の邸宅で開かれた宴で主人と客人によって詠まれた歌32首に付された序文であるが、この日本の文化は漢詩等中国の文化を基として王羲之などの影響を深く帯びており、そういった流入した異国の文化と日本の文化が融合し、醸成されていた時でもあった。
しかし、実は、外来文化が流入し、それに飲み込まれながらも、全く新しく洗練された精髄を確立し、高度な文化を創出するという日本人の特性は、そもそも、地球大変動期を経て、大陸から分離した奇跡の列島の天地自然の中で育まれてきた日本人の気質であること見逃してはならない。最近の研究によって、戦争もなく、覇権抗争もなく、究めて天地自然と融合しつつ、一万年以上ものあいだ営まれてきた縄文文化。更に、その縄文文化を遡ることおおよそ一万年の間には更に高度な文化がこの列島で醸成されていたという説が古来よりある。「古事記」や「旧辞」などの文献や中国の周の成王のとき(紀元前1200年)の倭人に関する記録、老子が「日本には高度な文化があった」ことなどを記している。秦の始皇帝が徐福に命じて日本の不老不死の薬草を手に入れようとしていたともいわれる。
日本は、四海に囲まれ、四季折々の豊かな自然環境にあって、天地自然とともに天地の摂理と人間の有り様を感受でき、その感受性が高度で豊かな文化を築いていたことはあながち否定できないように思う。
江戸時代後期の僧慈雲尊者飲光大和上の雲傳神道の主著『神儒寓談』『天の御蔭』等において、「君臣の道を根本とする神道こそは、人間一切の秩序の本源、日本人の自ずからなる生活の規範、つまりは生活あるがままの姿であるから、仏教徒の習合や儒教によって神道を説明することは誤りである」とし、更に、「万国道を建てる者、我が神国より分付せる枝葉なり」とし、「日本に孔子や孟子のごとき聖人が少ないのは、日本が元より神国であり、ことさらに仁義忠孝を説く必要が無かったからである」と論じている。
世界の文明が発達するにつれ、その都度、大陸の文化の波が日本に押し寄せ、日本も狩猟・農耕・朝廷・幕府・明治・大正・昭和・平成、そして令和にいたり、世界中の文明の転換を迫る荒波が第三波・第四波・第五波と次々と押し寄せ、変革を迫まられている。地球は狭くなり、ますますグローバル化が進む一方で、その反動による孤立化と分断化の対立が厳しい時代に入った。しかし、これまで幾多の困難に遭いながらも、必ず立ち上がる日本人特有の気質は、実は、あらゆるいのちが住む神国・地球が悲鳴を上げているこの絶対絶命のときにこそ求められるものであろう。天地感応の直観力を失うことなく、その感受性を最大限に発揮して、新たなる時代の先駆けとなり、道を切り開くか否かは、ひとえに、この日本という国土に生を得て、令和という新時代をいきるわれわれや後の世代をリードする若者達の生きざまにかかっている。
新天皇が即位され、歴代天皇を通して継承された「三種神寳」すなわち、「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「草薙剣」は、神代期より伝承される「十種神寳」とともに、実は、この神寳こそが天地の摂理と人々のあらゆる生活の規範となるべき智慧が記されたものであることを知るものは少ない。しかも、この摂理を紐解く鍵が、文字を通してではなく、天地自然のあるがままの観察と深い洞察と直観力により導き出されたものであり、必ずしも文字という概念は必要でなかった。ゆえに、文字のない文化であり、したがって、文字という概念を通した思考に依らず、天地自然との直接感応同交を通して、会話し交流してていた。草木や動物たちもよくものをいう時代であった。
このような天地との交流や生活で直観した摂理を神寳に託して伝え、継承してきた。したがって、これらは単なる儀式や飾りではなく、また、宗教的な象徴でもなく、天地宇宙の摂理とその中で「いのち」を頂くもののありようとが示されていたのである。十種神寳の秘傳は小職、雲傳神道の阿闍梨から伝授されているので、この法理は間違いなくこれらの神寳に込められていると感受している。
太古より日本人が響かせていた言霊とヒビキは、これまでの歴史上、世界のどの外来文字文化にもない特殊なものであって、しかも、今日に至っても、日本人は当たり前のように日本語として使っているものでもある。日本人が太古より響き合わせて天地自然と共に生き抜いてきたヒビキと摂理の鍵として、大和言葉がそのヒビキを伝えている。確かに、中国やインドなどさまざまな文字文化がしばしば陥ってしまう、言葉による概念や観念やイデオロギーや宗教などの虚妄により世界を見ることの欺瞞性、さらに、自らの信念に固執する盲信や狂信や自己中心性、自己同一化した飽くことなき自我の拡大と欲望による搾取や破壊の戦いが際限もなく繰り返され、最後には破滅に至らざるをえない文明。意外なことにこうした観念的、古典的な文明は、自然科学とは激しく対立することがしばしばであったのだが、科学の進歩が、人類の欲望を助長し、エゴが手段を選ばぬ餓鬼道に陥り、科学を野心の道具とし、自然破壊という取り返しの利かない事実に向き合うことすら困難にしている。
しかし、むしろ、自然科学の本質である真実の探究や自然との共生の中から、新たな自然力の創造性を解明し、引き出しうる直観力は日本人の特性のようである。
令和の時代に何を切り開いていくかは、一人一人の直観力にかかっているのだろう。日本人ばかりではなく世界人類が直観力を回復していかなければならない意識の変革がますます求められていると思う。
合掌
萬歳楽山人 龍雲好久