この梅雨の長雨に、初蝉の鳴き音はひぐらしであった。それも一節鳴いてはしばらく黙り、そして、また、一節。何とも、もの悲しく、弱々しい響きであった。
長引いた梅雨が明けると、一転して40度近い猛暑日が続く。真夏のこの暑さに、蝉すら鳴かなかった。寺は異様なほど閑まりかえっていた。それでも、夏も終わりに近づいて、ようよう時間を取り戻すかのように、いつもの蝉時雨が降り注いできた。もう、日の出は日に日に遅くなり、夕暮れは日に日に早くなる。宵のコオロギに秋の気配を感じ、日中の蝉時雨に残暑の厳しさを感じる。この時期は、まるで、一日の中に季節が凝縮されたかのようで、不思議な感覚がする。鎮守の境内に幟が立ち、秋の長雨の季節を迎えた。
そういえば、今にして思えば不思議であると思うことがあった。この7月15日の早朝のことである。いつものように、早朝、お堂を開け放ち、諸尊を巡り、供養を捧げていたのだが、ふと、裏堂奥の片隅に安置してあった木製の仏塔の一つの頭頂部分が落下しているのに気づいた。堂内奥なので、風もないし、地震があったわけでもない(あの大震災の時でさえも、この仏塔が倒れることはなかった)。まして、普段は参詣人や動物もめったに入ることはなかったし、昨夜お堂を閉めたときにはなんともなかったのである。どうしたことかと訝しく思いつつ、落ちた塔輪を拾いあげ、本体の仏塔にはめようとしたとき、その仏塔の胎内に、なにやら、紙が数枚小さく折りたたまれて納められているのを発見した。胎内に紙が納められていることは全く知らなかった。何だろうと思い取り出してみて驚いた。そこには63名の方々の名前と命日(大半が昭和20年8月以降に亡くなっている方々であった)が家族ごとにまとめられて記入されていたのである。はじめ、檀家のどなたかの御精霊なのかと思ったが、よくよく見ると様々な姓の家族の一覧であり、命日がどれも家族ごとに、ほどんどが同日の命日であった。家族の中には六〜七名が一緒になくなっている家も複数記載されている。しかも、檀家やこの辺りではみられない姓名ばかりである。どこの方々なのだろうかと記録用紙を丹念に探したが、どこにも、場所についての記載は無かった。おそらく、ある地域で空襲にあって亡くなられた方々のものなのであろう。あるいはこの時期大陸に渡っていた日本人の家族かも知れない。それにしてもどなたがこの寺にいつ納められたものであるか不明であった。
この高さ50センチほどの木製の仏塔は2体納められている。もう一体の仏塔を調べてみたが、そもそも塔輪と切り離すことすらできなかった。揺すってみても中には何もなさそうであった。このチベット仏教の塔のような形をした仏塔の底には、昭和44年と昭和45年に地元のこけし工房の銘が記されていた。どなたかが供養のために先代住職に依頼して建立したものであろう。しかし、このことは先代住職から何も聞かされてはいなかったので、今日、発見するまでは不覚にも全く知らなかったのである。
先代住職も工房の職人もすでに他界している。今のところ調べようもないのだが、令和元年7月15日のお盆の日に塔輪が落ちて、中から戦災被災者の芳名簿(過去帳)が出てくるとは・・・・たまたま偶然なのであろうが、これを不思議といわずしてなんといえるのであろうか? 折しも、盆の供養のため施餓鬼法会の仕度を始めたばかりのところであった。
毎年のことながら、お盆の頃は、この世とあの世が近くなるように思える。この世のことも、あの世のことも、何かしらの縁を通して、はじめて、語りかけられ、ひびいてくるものがあるように思われてならない。
こうした声なき声は私どもに何を問いかけているのであろうか。
そもそも、仏教では釈尊在世の折、目連尊者が如来の教勅を蒙り、慈母の飢労の苦しみを救わんとして、盂蘭盆供養の法宴を設け、併せて施餓鬼供養を為したる古風があった。その古風を仰ぎ、受け継ぎ、今日に到りてなお、各寺院では施餓鬼供養の法宴を催し、芬々たる萩の花を捧げ、精霊に播こし、滴滴たる秋の露を掬んで、亡魂に灑いでいる。このときの施餓鬼の「過去帳の文」に次のような下りがある。『そもそも過去帳といっぱ、苦海を渡る津梁、楽岸に到るの船筏なり。高祖大師は帖に録して亡魂を弔い、源仁僧都は名を列ねて幽霊を輔く。先賢既にかくの如し後愚何ぞ勤めざらんや・・・・』
寺の仏塔の塔輪がたまたま外れて、中に納められていた戦災死者精霊の過去霊名簿が突然明らかになったのも、こうした供養の重要性を示すものであるのだろうか。というよりも、人類の悲惨な苦しみや苦悩を通して、二度とこのような過ちを犯すことのないよう、その無念の苦しみを以てして、後進のわれわれをして慈悲の光明に満たさんとする先霊達の声なき声であり、悲痛極まりない呻き声であるのかもしれない。
量子物理学の理論に並行宇宙(パラレルワールド)というものがあるそうで、われわれの世界は対になって存在しているらしい。次元が異なるので低い次元からは全く見えないが、高次元からは見えるという。われわれはこの世の次元における存在の糸が切れれても、高次元の並行宇宙に吸収されるが、そのときにはパラレル状態であるから、この世と全く異ならない世界に移るということになるらしい。そこで、より高次元の並行宇宙と対になるようだ。理論上、宇宙の次元は11次元で全統合されているらしい。
ということは、われわれは死んでもより高次元で生きているということになるという。いまわれわれが生かされているのは三次元の宇宙であるが、これはより高次元の並行宇宙と対になり、互換重合し、そこから刻々に響くシンフォニーの振動、波動によって、三次元に常に新たに局所化され粒子化する仮想の実態であり、そこにいのちがヒビキとして吹き込まれていると考えられる。この実態を科学的に検証できるのはそう遠くないという。不確実性の理論の背景がやがて明らかにされる日も近いともいわれている。
死んだら終わりではないとなると、われわれの生き様にも重大な責任が伴うこととなる。
お盆とはいえ、今更ながら、声なき声を聞くことが如何に重大なことであるかを実感するのである。
合掌
萬歳楽山人 龍雲好久