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作成日:2020/05/09
心の通信R2年5月1日《ある敬虔なる求道者》

 今から41年ほど前、ふとしたご縁で、ある大学で教鞭を執っておられる異常心理学専門の教授にお目にかかる機会があった。

 学生でも何でもなかった小生は、はじめて、ご自宅にお伺いしたのであるが、初対面の小生のたわいもない宗教の話に、ことのほか、熱心に聞き入ってくださり、恐縮してしまった。極めて充実した時間であった記憶がある。

 その先生は、真剣に聞き入って下さる中で、時折、言葉を挟まれる。が、その鋭い着眼点に、驚き、どうも、この方は宗教や仏教にかなり造詣の深い方なのだなあと思う。よほどでないと話さない宗教的体験の話にも、極めて真剣な面持ちで聞いて下さられた。

 お部屋に案内されると、すでにその方はお待ちで、「さあさ、こちらへおかけなさい。」とご自分の隣のソファーに着席を促される。その静かな語り口は穏やかで、どこか思索的で、控えめでああった。とにかく、小生の話に興味がおありのようで、まことに真剣に聞き入ってくださる。しかし、その眼差しの奥には、すべてを見通されておられるような、慈しみ深い柔らかな光が感じられた。

 このような人物にお目にかかれるのは、人生で全くはじめてであった。不思議なお方であった。医学博士。しかも大学教授であったその方は、朴訥としていて、そういった匂いは全く無い。いや、むしろ、敬虔な求道者そのものであった。

 間借りなりにも僧籍にある自分は、この方と対面する中、(ああ、だめだ!この方の前にいると、自分が全くの俗人であることがわかる。知ったかぶりして、宗教のことをまくし立てているが、話せば話すほど、この方の、傾聴の前に、自分の話すものが、すべて浅薄で、嘘に見えてしまう。ああ!恥ずかしい!何と恥ずかしいことだ!なんだ?この感じは?一体どうしたというのだ!)と、まるで、本物の求道者の前に立たされたような不思議な感覚があった。

 いや、決して、初対面の緊張から来ていたわけでもないし、宗教者として問答をしていたわけでもない。問い詰められていたわけでもない。自然な会話で始められていた。小生は、まるで、外で遊んで帰ってきた子供が、母親に、一日のことを、目を輝かせ、息せき切って報告しているようなものであった。これまでたどってきた実にいろいろな宗教的出会いの内容について話をしていただけである。この方は、その話をとがめるどころか、真剣に、興味を持って、熱心に聞き入り、誰よりも素直に理解し、感動し、歓んでおられる様子であったのだ。

 とかく、われわれは、自分の思惑で、人の話を聞いている。その思惑の中で、ひとの話を受け入れたり、拒否したり、分別する。まして、仏教や宗教の話になると、「きみ、坊主ならこの問題をどう解くのかね?」と、いろいろ挑戦じみた問いにあうことが多い。その場合、大抵は、応えたとしても、相手は、自分の頑なな識見をすでに持っていて、ひとの話の取捨選択をしている。自分の間尺に合えば賛辞を与え、間尺ね会わなければ、問題を次々と投げかけてきて、つまらんと言って、吐いて捨ててしまう。これでは、いずれも、会話はすれ違いであり、熱心であればあるほど、得てしてひとはそういう落とし穴に陥る。

 いま、ふり返ってみても、そのような先入観の全く無い、このような方にお目にかかることは、これまで、全く、経験がなかった。本当に希有な人物との邂逅だった。

 当時、この方はかなり多忙で、この方の医学専門のお弟子さんですら、なかなか、お会いして頂けなかったらしい。

 だが、どういうわけか、はじめてお会いして以来、時々、この先生から、ご連絡があり、ご自宅にお伺いし、貴重なお時間を頂戴することがあった。

 そして、いつお会いしても、敬虔な祈りを捧げておられるような、物静かなご様子で、楽しみにされているかのように、小生のたわいもない宗教の話に耳を傾けて下さる。

 そして決まって、その方の敬虔な振る舞いの前に立つと、自分の、求道者としての浅薄さや欺まん性、俗物性に気づかされ、何とも気恥ずかしい思でいっぱいになるのであった。しかし、この方が小生を批難されることは一切なかった。ゆえに、どこかすがすがしく、心は慈愛に充たされ、いつも、安らぐのであった。

 さて、そのようなある日、やはり突然、この方からご連絡を戴いた。「このたび、京都に引越することになった。持ち家や家財道具をすべて処分し、身軽になって移る。ところで、あなたは、坊さんなので、もしかして、仏教書はどうかと思い連絡した。私が読んでいたものなのだが、もし、迷惑でないならば、あなたに差し上げたい。どうだろう、見に来てくれないか。」ということだった。

 大学教授ご退官後、京都に移り住み、寺を巡り、参禅をしたり、説法を聞きながら、余生を静かに過ごされたいのだそうだ。

 すべて処分して、必要最小限のものにして、奥様とご一緒に京都で隠遁生活に入られるという。ますます本物の求道者であるなあと感じ入った。

 早速、お邪魔してみると、何と、仏教書や宗教書だけでも段ボール7箱分もあったのである。どれも、小生では手に入らない貴重な大著ばかりであった。

 一つ一つ手にしてみると、どの本も、何度も何度も読み返し終えたしるしがしてあり、重要な推考の書き込みも多かった。それでも、丁寧に、大切に、大切に読んでおられたものばかりであった。これを頂くのは、全く恐縮至極であった。

 そう思いながら最後の一箱に至り、その一番底にあった、小さなボロボロになった一冊の薄い洋書を手にした。英語なので何が書かれているのかは不明だが、辞書のように使い古されたその洋書から、おそらく、この方が最も大事にしておられた書物であることは察しがついた。しかし、この際、記念にこれも戴こうと、箱にしまいかけたとき、「あっ!その本!それは、ダメです!ダメです!それは、私の一番大事な本です!これだけを持って京都に移るつもりなのです。あとは何も要らないほど大事なものです。」と慌ててその本を取り上げられた。小生は、「それじゃなおさら戴きたいですね。」といたずらを申しあげると先生は大慌てで「いや、いや、そればかりは、ご勘弁下さい。ご勘弁下さい。」さっさとしまわれた。

 「先生!それほど大事なその本は何という本なのですか?」と尋ねると、一言、「ラーマクリシュナです。」と話されるのみであった。珍しく、威厳のあるお声であったので、それ以上は、何も申しあげなかった。

 あれから、数十年は過ぎ、この教授も奥様もすでにご他界なされている。

 お墓は小生の寺にと、先生ご自身が遺言された。

 そのお墓には、ご法縁のすべての方々にご加護あらせられんことを祈り、サンスクリット語の「光明真言」と大聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」の和訳の一節と小鳥の巣の絵を刻させていただいた。

 もう、眠るなよ、こころよ。

 暗闇のなかで、いつまで眠っているのかね。

 君は誰で、なぜここにいるのか。本当の自分を忘れているね。

 さあ、目をはっきり開けて、悪い夢から覚めなさい。

 矢のように流れ去る虚妄なものにしがみつくのをやめて、こんこんと  湧き出る本初不生の泉を汲み味わいなさい。

 悲しみや苦しみの暗がりに閉じこもっていないで、心の窓をを開け、光るい光りとすがすがしい微風の訪れに喜びを味わいなさい。

 

 この方の生涯をかけた信仰の一途なおこころを思うとき、小生は、いつも、シュリー・オーロビンドの『聖なる母』の書き出し文にある【全一なる帰依】を思う。

 

 下方から呼ぶ不断にしてゆるがぬ切願、上方から応えたもうこよなき恩恵―このふたつの力が不ニ一体となつて、はじめてわれらが努めてやまないかの目標、大いなる雖事がここに成就する。

 といえ、こよなき恩恵は、光明と真理を縁として注がれ、虚偽と無知の諸縁から生ずるものには注がれない。

 帰依は全一にして真摯でなければならない。ひたすら浄くこよなき力に全托することである。

 

                               合掌

                               萬歳楽山人 龍雲好久