令和4年の新しき年を迎え、諸氏の安寧ならんことを心よりご祈念申し上げ奉る
この寺の年末年始は近年にない大雪に見舞われ、まるで閉じ込められてしまったかのようである。われわれは、新型コロナウイルスの問題のみならず、気候変動の異常気象に世界中が苛まれている。どうも、人類の意識の変容は待ったなしであるようだ。いや、すでに地球上の人間による環境破壊は臨界点を超えドミノ倒しに悪化の一途を辿っているのかも知れないともいわれている。それこそ、われわれがこのまま安閑としているならば、地球上のあらゆる生命の循環システムが、人間という我欲の権化によるグローバルに張り巡らされた文明によって破壊され、地球そのものが不可逆的崩壊現象を起こし、人間がどうあがいてもそれを止めることはできない事態に陥る。恐ろしいのは人類が滅亡する前に地球そのものが崩壊してしまうことであろう。この寺のつくばいに度々出現する氷の造形は「人類の意識の変容は待ったなしである」という警告を発しているように思われてならない。昨今の異常気象や大地震による災害の甚大さ、新型コロナウイルス感染が人類全体に鳴らす警鐘は、今、どのように人類が自己変革を起こさねばならないのかであるが、それは、すでに我欲のシステムに警鐘を鳴らす洞察力のある人間によって歴史的に繰り返し警鐘が発せられている。まさに、いま、我欲のシステムによる狂気化した文明を転換させる洞察力を、われわれ自身が身につけなければならない切迫した状況にある。
では、どのように人類が自己変革し、意識の変容を起こさねばならないのか。これが「心の通信」発信の最大の眼目であるのだが、小生の愚凡さがその意を尽くさず、重大な啓示を停滞させているのではないかと恐れるばかりである。
さて、年頭に際し、今回は、どうしても、あの出現し続ける「氷の三角四面体」が暗示するものの探求の一端をお届けしたい。「心の通信」を続けて下さる慶徳先生には、ご負担ばかりおかけしてしまうが、これから提示させて頂く「いろは歌のコトワリ」は、この三角四面体なるものの探求の過程で得た或る二人の特異な天才物理学者によるものを参考にしている。畢竟、今、人類が、地球上の危機を乗り越えるために、目を開き、覚醒しなければならないもの。それが、「上古の日本人の直観の」にあると、この氷の三角四面体によって導かれた試論の一部である。
「いろは歌」はわれわれ日本人にはなじみが深い。
いろはにほへと ちりぬるを 色は匂へど 散りぬるを
わかよたれそ つねならむ 我が世誰ぞ 常ならむ
うゐのおくやま けふこえて 有為の奥山 今日越えて
あさきゆめみし ゑひもせす 浅き夢見じ 酔ひもせず
これは一般には仏教の無常観を和歌に詠んだものとされている。
諸行は無常なり、是れ生滅の法なり。
生滅(へのとらわれを)滅しおわりぬ、寂滅をもって楽と為す
この正月に、友人から紹介を得た或る本の中で「地球崩壊を招きかねない守銭奴化した文明の大転換をはかるものがあるとすればマルクスの資本論の新解釈による人新世資本論によるコミュニズムだ。拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊しつくそうとしている今、私たち自身の手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わりを迎える。資本主義ではない社会システムを求めることが、気候危機の時代には重要だ。コミュニズムこそが人新世の時代に選択すべき未来なのである。」と彼が到達した仏教的な境地すなわち欲望のシステムの終焉にあるのではないかという主張にであったが、まさに、そのような視点においてもこの「いろは歌」は非常に大切な歌であろう。ちなみに、ブッダ親説である『マッジマニカーヤ』で次のようにいろは歌の根幹となったものが説かれている。
過去なるものは捨て去られたものであり、未来は到達していないものである。
現行する在り方を時々刻々観察するものは、そのことを紛れもなく動かしようもないものとして熟知して心を完成せんことを
しかし、今回は、全く異なった視点でこの「いろは歌」の解釈を試みている。というのも上古以来使い続けられている日本のことばのダイナミックで壮大で精緻な音声譜符の象を元にした直観の理法からすれば、この「いろは歌」が伝えている日本のことば48の理法は日本の記紀以前の日本の神名文化のコトワリが今まさに滅びんとする現代文明の全く対極にある天地自然のコトワリを謳歌して、まさに今人類が目覚めねばならないのは日本の上古の法理であると思わざるを得ないのである。以下、全くの試論であるが、その「いろは歌」の大意について述べてみたい。
イロハニホヘト
大意
(イ)現象界に現れる最初の極微粒子である五つの物理的素量。電気・磁気・力・トキ・トコロのイツツの素量が重合したものが、
(ロ)水中に単細胞の藻類のように大宇宙に自然発生して、時間的経過(トキ軸)とともに、アオミドロのような多細胞、多孔性生物に進化して、絽織物のような状態に発達し、まとまっていくように、星雲や銀河のような渦巻き状の中心に集まりつつ、微細宇宙(素粒子)から大宇宙に至る世界を形成する。そこはたらく根源の力が大宇宙体や微粒子体を形成し、質量を伴う。
(ハ)そこには、正反に分離したマリの間に互いに引き合う力(正反重合)が発生している。
(ニ)そこでは、正・反重合、潜象・現象重合が繰り返されながら、大宇宙体の形あるものとして定着した状態になる。
(ホ)正反分極した両性が引き合い、親和し、重合することで、新たなるものを発生させる創造源となる。
(ヘ)これらは、潜象から潜象界、更に現象界を形成し、その外縁である境、即ち、現象界のアマ(大宇宙)の周辺部(球面)において、潜象のチカラ(潜象の流れ)をたえず体しながら、潜象と現象が刻々に互換し重合しながら、水平方向(次元発生空間の周辺部(球面))に作用し、発展していく結球性、ナギ性、局所性の現象化の働きを示していく。
(ト)このように現象宇宙に結合されたもの、融合した万生万物は、トキ軸(マリの発生の時間的経過)と、トコロ軸(マリの存在の空間の場)を展開しながら、無限のトキとトコロの融合せる空を形成しつつ、極限(八)を超え(九)、より高い次元へ溶け込む(十)方向へと進化し続けるものである。
チリヌルヲ
大意
(チ)エネルギーの時間的存在、すなわち、持続して存在させ、支えるエネルギーが、アマのマワリ性による回転によって、球面上のマリの速度差、及び方向差が生じ、時間の経過とともに、横縞、逆縞等の渦流を作りながら、
(リ)ついには、本体から分離する。
(ヌ)計測できず目には見えない確固として安定している潜象界からの分離・発生の時間的経過により、
(ル)ある動作が継続発生し、存在を保ち続けることで、エネルギー準位が高まり、ついには飽和状態と化し、分裂を引き起こすことになる。このように、時間の経過に伴って正反四相(正の旋転・正の循環、正の旋転・反の循環、反の旋転・反の循環、反の旋転・正の循環による膨張性、収縮性、抗膨張性、抗収縮性など)の混沌状態を呈するが、
(ヲ)おわりにはおさまって、次の(イ)の段階へ進むのである。
ワカヨタレソ
大意
(ワ)(ワ)は輪に通じ、平面的な中空の円ではなく、球面としてとらえ、シャボン玉の輪のようなもの。(ワ)は閉じられた空間の球面を指す。閉じられた空間系の内側では、光りのような直進性のものは、(マ)の境界面に近い部位でその球面に添う円運動の形をとりながら、大宇宙の三次元の縁(ふち)の輪に、大宇宙体が現象していることをさす。
(カ)(カ)は現象の根源・アマ始元量・生命根・生命・宇宙・チカラをさす。宇宙の内外を問わず普遍的に存在している潜態のエネルギーであるが、このエネルギーはトコロ的(横軸・場・フィールド)な存在で存在し、未だ動ぜざる状態のエネルギー、即ち、先験なる本不生である。
(ヨ)(ヨ)は数字の4、四相性、時間位置、トキ・トコロをさすが、四相性とは「サヌキ(局所性)」と「アワ(遍在性)」のそれぞれに「順方向」、「逆方向」の流れが生じて、正反四相が起こることを示す。現象界における大宇宙体は、アマの性質である「膨張性」、「収縮性」「抗膨張性」「抗収縮性」の四相によって調和が保たれているのである。
(タ)(タ)は解き放つように出すアマが分離してそれぞれが独立することを指す。すべてのものは、エネルギーの蓄積が高まると(アワ量の増加)、トコロ軸で二つに分かれ、独立する性質がある。細胞分裂などの現象をさす。
(レ)(レ)は大宇宙における、潜象としての密度の高いエネルギー量を示す。これは、限りなく十に近い、9.9999999・・・・のようなもので、エネルギーが過剰な状態、即ち極限(ヤ)を超えて、転がり(九)でたマリが境界線にびっしりと密着している状態を示す。
(ソ)(ソ)は宇宙空間、現象空間における現象界とその外界との交流を示し、また、その結合から外界にそれることをさす。
ツネナラム
大意
(ツ)(ツ)は個々のものが集まった集合体。
(ネ)これらは、目には見えないが網の目のように細かく、狭く、どこまでもうねうねとと伸びていく宇宙のエネルギー(ダークエネルギー)に繋がり、帝釈天の網目のように、根源のものが長々と無限に根張り、広がっている。
(ナ)七のメグリ性として、マリの重合の繰り返しの結果、忽然として別なものに変わる。原子が分子に変わり、分子が細胞に変わるように、また、木に花が咲き、実をつけるように。
(ラ)このようにして、目には見えないエネルギー(ミ)の存在が「場」に現れる。
(ム)場である六方環境の広がりは、上下、前後、左右の六方の体積を持つ段階にいたり、体積を持つことにより質量、つまり物質が発生する。しかも、この質量は六方に無限に広がったり(ナミ性)、縮小したり(ナギ性)する性質を(マ)の本性から受け継いでいる。だが、その(マ)の本性から無限に広がったナミ性も、無限に縮小したナギ性も、われわれにはその根源が認識できない先験性である。
ウヰノオクヤマケフコエテ
大意
(ウ):アマの渦の境界面、すなわち、潜象と現象の界面上に、すべての現象が発生する。
(ヰ)そこは、アマ(現象の有限宇宙)とカム(潜象の無限宇宙)の重合した存在または状態である。アマとカムが互換重合しながら、
(ノ)変遷して進み、持続しつつ、新しい生命が刻々と発生している。
(オ)やがて、これらが、六方(前後、左右、上下)へ限りなく、奥深く広がり、または凝縮していく環境を形成し、大きい、重い(凝縮した質量)となって、奥の方の潜象の場へと進む。
(ク)これらは、それぞれ自転・公転をしながら、自由に展開する。
(ヤ)この自由な繰り返しの発生の結果、極限に達し飽和し、安定した状態に至る。やがて、現象界の宇宙球全体、現象物の各々の受容と発動がおこるのである。
(マ)これは、(マ)の大円の円周上にある小円は、(マ)の微分量であるマリの密度の高い集団(コロ)を示し、マリはそれ自体の性質により、自転しながら大円の円周上を旋回(公転)して円軌道を描く。このマリの円軌道によって区切られた球面空間を(マ)という。独立した(マ)をタマ(球)、その微少なものをマリ、銀河系のような星雲宇宙をアマタマ、すべての星雲宇宙を包含する大宇宙のタカタマとして展開する。
(ケ)見えざる世界において、単藻類が水に溶け込んだように分化していき、変化していくもの、これこそが、存在は感じられるが目にはよく見えないもの、即ち、ダークマターである。
(フ)潜象と現象の互換重合によって、ナギ性(粒子性)とナミ性(波動性)の互いに矛盾する二つの性質から、マワリ性(自転)し、メグリ性(公転)する渦流運動が起こる。
(コ)この繰り返しにより、やがて、極限(ヤ)を超えて、転(コロ)がり出る。
(エ)潜象から現象へ時間的経過(正方向)によって成長転化して発生、繁栄する。
(テ)このように(マ)から独立(タ)して正反に出るすべてのものは、(マ)の本性である「マワリ性」と「メグリ性」の自転・公転の二面性を有しているのである。
アサキユメミシ
大意
(ア)宇宙のあらゆるものの始元量(ア)から、
(サ)(サ)の時間的方向差、すなわち、(マ)の回転運動に伴って、マリの流れに速度差、方向差が生まれる。
(キ)この差は時間(トキ)の経過とともに大きくなって渦流を生じ、ついには裂けて分裂するに至る。このエネルギー準位の差から生じる「動」の始まりと、キの「場」的方向差、すなわち、(マ)球体の回転によって横軸(トコロ軸)に並行的重合のズレ、マリの密度差が発生する。
(ユ)この密度差によって、すべての物質や生命の誕生のプロセスが始まり、量的飽和状態に満ちて、ついに、現象界に湧き出してくることを示す。
(メ)潜象から現象界へ、トキ軸の時間的経過によって形作られていく。芽のように今は小さくとも、時間の経過とともに発達する。この発生する現象物質の大宇宙体は、見えざる本不生の大宇宙の中では、わずか4%にも満たないものだ。そのようなものでも、虚しいものではなく、「氷山の一角」や「大盤石・要石」に喩えられるように、表面に出ているものはわずかでも、潜象の見えないところに連動し、そこから絶えず刻々に新たなるものとして湧出している唯一無二のものであることを示す。
(ミ)生命の実相、本不生、不生の仏心と表現された潜象の不可視の(ミ)は、(マ)が(ヒ)から(フ)の段階を経て、物質や生命に発展する過程として、いわゆる(ミ)の領域が存在し、(ミ)の領域は潜象過渡の段階で、イカツミ(電気)、マクミ(磁気)、カラミ(力)の三つから成る、目には見えない中身(実相)である。
(シ)これはブッダ親説に解かれる、先験より今に経過し消失する実相を如実に示している。いわゆる観念上の有・無の排中律を否定し、「無」は無いのではなく未だ現れざる先験性が現象化する潜象過渡の状態(実)の法理、即ち、先験なる実相から絶えず刻々に新たなるものとして湧出している唯一無二の現象界であることを示している。
ヱヒモセス
大意
(ヱ)あらゆるものは、潜象から現象へ時間的経過(正方向)によって成長転化して発生している。
(ヒ)その潜象なる(ヒ)は、
(モ)あらゆるものの根源、始元なる根本が現象界に正反・左右の渦巻きの藻雲となって、
(セ)エネルギーを集中させ、
(ス)大宇宙の極限に至るまでの極微宇宙から極大宇宙に至るまで、潜象と現象の互換重合を繰り返しながら、互いに自転・公転しつつ、進化し続けている。
ン
(ン)については、弘法大師空海の著書『字義』の解を読み解くと、まさに、下記の如く、 日本の音声譜符の象と驚くほど符合している。
大意
(ン)一切は大元(ン)である。
【大元】(ン)は(ア)・(カ)・(ウ)・(マ)を内在させる。 即ち、大宇宙における森羅万象・万生万物は大元のンより、
【法身:本初不生の胎蔵界:(ア)】と【報身:本初不生の金剛界:(カ)】が、【応身:互換重合(ウ) することで、先験たる潜象と現象の境に生み出された】【等流身:先験より今に経過し消失しながら刻々に持続された(マ)】である。
※いろは歌全体に流れていることだが、「本不生の先験性から絶えず刻々に現れては消失する粒子は、人間の認識による虚妄の法であるところの実体ではない」とされたブッダ親説の真意は、潜象と現象が一つの全体として統合され、互換重合しており、片割れでしかない現象のみの生滅に固執し苦しむものではないとされ、これは、未だ現れざる潜象と現象は絶えず互換重合し、刻々と、全く新たなるものの創造のいとなみとして持続している先験なる潜象が実相であるということである。したがって、この「いろは歌」を現象界のみの無常観や、観念論的仮想の有無(唯識論的の虚論)の無常観によって理解することは一面的であるといわざるを得ない。「いろは歌」は大宇宙大自然界のダイナミックな潜象と現象の互換重合する世界、すなわち阿字本不生の実相をおおらかにに歌っているものとして、不可視のものを直観して生きてゆくべきことが示されているものと思われるのである。
令和4年、人類にとっての地球規模のさまざまな試練は、果たして、人類は個々に自己変革を起こし、全く新たな地平を切り開く年になるか否かが問われている。それは、これまでの片寄ったイデオロギーや宗教や理論ではなく、上古の日本にあった大宇宙大自然界の天地自然の潜象と現象の法理に基づいた人類の行動の大転換を引き起こせるか否かにかかっているように思われてならない。
萬歳楽山人 龍雲好久
【参考文献】
仏教・密教・神道関係:
『評説インド仏教哲学史』山口瑞鳳著 岩波書店
『弘法大師著作全集』編集者 勝又俊教 山喜房佛書林
『現代語の十巻章と解説』栂尾祥雲 著 高野山出版社
『慈雲尊者神道著作全集』 八幡書店
『先代旧事本紀』訓註大野七三 批評社
『先代旧事本紀』[現代語訳]監修者 安本美典 訳 志村裕子
批評社
『校註解説・現代語訳 麗気記T』大正大学総合仏教研究所
神仏習合研究所 法藏館
カタカムナ文献関係:
『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版
カタカムナ文献関係:
『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版
他
『人新世の「資本論」』 斎藤幸平著 集英社新書