この正月は例年にない大雪が続き、寺もすっかり雪に埋もれていたのであるが、突然、ある檀家さんから、「自分のお墓に不思議な氷の像が出現している」という連絡があった。令和4年1月22日早朝のことである。早速、その墓所を確認したが、この写真のように確かにはっきりと出現している。ほかの場所を確認したが氷の聖像が現れていたのは此処だけであった。
この寺では以前から氷の「聖像」が出現しているが、この冬の大雪で、氷の聖像がいつも出現している「ツクバイ」は全く雪に埋もれていて、雪が溶けるまでは現象は見られないと思っていた。故に、この日の知らせには、さすがに驚いてしまった。大雪で、お墓も大概は雪に埋もれていたが、この方は、毎日、欠かさず墓参をしておられた。
この氷の聖像を見て、非常に危惧する思いがあった。それはこの聖像が「鳩」に見えるからである。水面の氷上に映るその影は、まさしく、鳩そのもので、何かを語りかけているように感じられてならない。
「鳩は平和の象徴」である。ということは、もしかすると、いま、世界は、逆に、「平和」がいちじるしく脅かされているという警告、すなわち人類の愚かさが再び戦争を引き起こしかねないことを暗示しているのだろうか?しかも、核戦争の危機・・・・そういった危機を見えざる世界が伝えているのであろうか?心中穏やかならざるものがあった。小生が、そのような懸念を抱くのも、かつて、昭和51年4月、不思議な感受性を持つ恩師が、病身をおして必死に語る不思議な内容を思い出したからである。
「地球人類の物質界に偏った意識と行為の乱れが、今後、地球上に大きな天変地異を引き起こすことになる。最大の問題はこれまでもそうだったように、まちがった宗教やイデオロギーなどの権力による搾取や欺瞞性にある。地球にも意識があり、その中の一部でしかない人類の意識が自己中心的覇権争いを重ね、欺瞞と搾取を繰り返し、しかも、搾取される側の悲劇はますます増大し、これがきっかけで、おろかにも核戦争のボタンを押しかねない。押してしまったならばもう取り返しはきかなくなる。これまでの戦争とはわけが違う状況にある。これをなんとしても止めねばならない。だが、人間社会はますます危険な状況を生み出しつつある。しかし、決して、忘れてはならないことは、この危機的状況を回避すべく、意識的に連動している地球も、また、見えざる世界の如来や大天使たちも、いま、必至に対策を講じていることである・・・。私は仏菩薩や大天使たちの会議に毎晩参加している。危険な地上の様子に見えざる大天使たちは、いま、非常に真剣である。人類の意識の乱れが、そもそも異常気象や大地震、飢饉や疫病、はたまた様々な戦争が起こすのである。こうした人類の誤った方向が地球という魂の修行場を破壊してしまうのだ。それはこの地上に縁のあるあらゆる魂が、地球上最後の塗炭の苦しみを味わうことを意味する。
いいかね、よくききなさい。これまで人類はいったい何をなしてきたというのであろうか?釈迦やイエスの本当の教えはいま本当にいかされているといえるのであろうか?イデオロギーや宗教が本来の普遍的な教えの真実を見失って骨肉の争いを繰り返している。その原因は、自己保存と自我我欲にほかならない。こうしたエゴイズムは物質界にあるものの恐怖心をベースに、人類は、神や大義や正義の名の下に、平気で自他を殺戮する戦争を正当化してきた。
しかし、まことに厳しいことだが、いかに、如来や仏陀が潜象の世界を通して、この現象界に警鐘を鳴らし、救済すべく必至であろうとも、この現象界の責任は、いま、ここに生きているわれわれ自身にあり、われわれがどう行動するかにかかっている。この世界に住むものに全てが託されている。それゆえ、もし、この世界で狂気に走るものがあれば、たちまち連鎖的に戦争は起こることになる。地獄を選ぶか極楽を選ぶかはひとえにいま、ここに生きるわれわれ自身にかかっている。ゆえに、人類ひとりびとりが地獄の沙汰となるような狂気の意識を悔い改め、意識の変革を起こさねばならない。このままでは、百千万劫にも遇いがたいかけがえのない魂の修行の場である地球を失いかねない。それゆえ、大天使たちは必至である。かく言う病身の私はまもなく潜象界に帰らざるを得ないが、しかし、それでも、みえざる世界からとはいえ、この地上に生きるひとりひとりの心をこじ開けてでも、警鐘を鳴らし、人々の意識を直し、その変容を促さねばならない」と。その話を聞くものは、たまたま側にいた小生だけであった。この恩師はこの話をしてまもなく他界したのだが、この内容は、平成22年12月になにげなく手にしたある翻訳本の内容とあまりにも酷似していて驚嘆せざるをえなかった。 『The Keys of EnochR:Introduction』『エノクの鍵』J・J・ハータック 紫上はとる・小野満麿訳 ナチュラルスピリットに、下記のように記載されている。
「いま地上の権力を支配しているのは高次の天界から堕落した者たちで、私たちがおおぐま座と呼ぶ天体に居住し、その境界の出入り口から、高次の天界から私たちの局所体系へと通じる、主要な進入点のひとつを管理しているのです。かつての進化の周期に存在したマスターたちがどのような経緯でそのような星々に送られたのか、そして彼らが現在はそこから、低次の惑星世界と、それぞれに課せられたカルマの罰則をどのように管理しているかを私は教えられました。そして私は、地球が、堕ちた思念形態と聖なる思念形態の両方をもちいた生化学的な実験領域の一部となっているのを見たのです。おおぐま座・こぐま座・北極星・トゥバーンといった領域に住む堕天使たちの操作するこの実験は、どのタイプの知性が、物質的輪廻をかぎりなく繰り返す存在形態から、最終的に地球そのものを解放するにいたるかを見極めようとするものです。既述の領域に住まう存在のなかには、低次の領域において強引に自ら神を名乗るような、不完全な光の体をまとうものたちもいます。
やがて私はその星域から、アルクトゥルスという中間拠点へ連れて行かれました。そこは、私たちの銀河のこちら側で父に仕えている銀河評議会の主要なプロブラミング・センターで、私たちの局所宇宙の運営組織である「9人評議会」の指揮下にあります。そこでは、私たちの空間領域に関わる諸惑星についての決定を下す霊的同胞団の使用するネットワークや法廷を見せられました。」
いわゆる「天上界」と「地上界」がリンクしていることを示すこの二者は「ブッダ親説」をベースにしている小生には、氷の三角四面体等の出現とともに不可解なものであった。
しかし、令和4年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻を止められなかった地上界における国連の機能は、常任理事国が国連憲章に違反して軍事侵攻を開始するという、19世紀にでも戻ったかのような世界戦争の最大の危機状況に陥っている。はたして、世界がこの問題をどう解決していけるのか。天上界の大天使たちの機構が反映しているであろう国連がどう機能できるか。ロシアの軍事侵攻は人類が抱えている力の侵攻の問題(軍事ばかりでなく情報や経済などあらゆる暴力的搾取的侵攻)が如何に破滅的であるか。ロシアのような国家体制にある国々が、示し合わせて、同時多発的に軍事侵攻を起こしたならば世界はどうなってしまうのであろうか。悲惨な戦争の苦悩を二度ともたらさないという万人共通の願いを無視し、しかも、いま、新型コロナウイルス感染症の問題に世界が懊悩しているにもかかわらず、人為的に戦争に踏み切るものの大義名分は悪魔の論理であろうか。
潜象の世界から氷の聖像が現れているとするならば、この鳩のようなものは何を示しているのだろう。人類の平和が大きく問われているのかもしれない。
この侵攻が始まる前、世界が危機的状況にあることを知らせようとするかのように1月30日早朝、今度は、全く予測もしていないところに、氷の聖像が出現!したのである。本堂の正面の階段脇の桶であった。写真のように、あの「三角四面体」が複数出現していたのである。例によってすぐほかのところを探してみたが、やはりここだけであった。しかも、いつもの「つくばい」はまだ雪に埋もれたままであった。ということは、ことは重大な局面にある。安閑としていてはならない!なんとしても気づかせねばならない。そのため、再び三角四面体を示さなければならない!といわんばかりに・・・・ことはそれほどに逼迫しているのであろうか。
とはいえ、元々、凡庸で、愚鈍極まりない小生のところにそのような現象をお示しいただいても、どうしようもない。だが、こうして繰り返し示される氷の聖像を見て、さすがに、「これは、見えざる世界では、われわれ人類にかなり危惧を抱いているのではないか?三角四面体マカバがの天地・自然・宇宙の森羅万象をコントロールせずにはおれないという非常事態が差し迫っている」と思わずにはおれなかった。
自分のできることは戦争回避のためにひたすら修法するだけである。修法といえば、真言の修法に用いる、密教の法具である五鈷金剛杵から「潜象と現象は一体である天地の創造秘儀」が込められていることを感じ取って久しい。五鈷杵は、「潜象と現象の三角四面体が流動し回転している天地創造の原理であり、その芯に、不生の仏心が全一なる宇宙の遍在性と多次元なる局所性の核心となって構成している正反マカバの三角四面体のはたらきを如実に示しているものである。」修法しながら、遍照金剛空海大師は一体どのような思いで五鈷杵を手にしておられたのだろうか?ふと、そういう思いがわき上がって、調べてみると、遍照金剛空海大師が請来された五鈷杵が東寺伝わり、国宝となっている。弘法大師が宮中の真言院で修法なされて以来、今日まで続く「後七日御修法」という世界平和と安寧を祈る大法がある。真言宗十八本山の長老猊下が最後の修法とする真言最高の大法において、今日でも、大導師が弘法大師が請来された密教法具を手にして祈祷がなされるものであるが、この法具を手にできる阿闍梨は極めて希である。しかも、たとえ、何代にもわたって法統を受け継いできた真言の大阿闍梨といえども大師御請来の法具を手にできる機会は全くない。この大師請来の国宝の法具をよくよく観ていると、まさしく、あの氷の三角四面体によって導かれた構造を余すことなく形状化していることに気づく。とはいえ、大師請来の五鈷杵を手にして大法を修することは、小生には、あと何億万回生まれ変わったとしても叶わないことである。しかし、いま、世界は非常事態にある。まるでどうしようもない自分の凡庸さに愕然とせざるを得ない。まんじりともせず、夜を過ごしたある明け方、暗いうちに、本堂を開けて、東の空を見る。すると松の木葉の間に細い「三日月」が掛かり銀色に美しく輝いていた。そして、そのやや下方に「明けの明星」がキラキラと輝いていた。空は凛として澄みきっていた。そういえば、空海大師が四国の室戸で「虚空蔵求聞持の法」を修行しておられたとき、「明けの明星(金星)」が御自分にはいられたと言っておられたなあと思った瞬間、ある気配を感じた。(ああ、そうか、潜象界の兜率天におられる遍照金剛空海弘法大師が氷の現象を通してお示し下さっておられたのかもしれない・・・)
するとその存在はこう語りかけてきた。「確かに、おまえは限りなく小さい。覚りもなく、無明の強欲の風にさらされ、愚か者のままである。おまえが言うまでもなくおまえは無能極まりないのも事実だ。そして、何事も為せないままこの世からは、はかなく消え失せる」(・・・・・・・仰せの通りです・・・・・・・・・・)とこの気配を感じるまましばらく黙っていた。しばらくして、(それでも、こうして、あなたはいつも、こうしておそばにいてくださる)という気持ちに充たされた。あの銀色に輝く細い月は五鈷杵、あの明星は大師であった。それ以来、この不思議な氷の聖像が出現するこの片田舎の小さな寺にも遍照金剛空海大師が坐して下さっておられることを確信している。小生が修法していると言うより遍照金剛空海大師が潜象の大曼荼羅界にあって、人類がこの危機を乗り越えられるよう身を粉にして御修法下さっておられることを示しているにちがいない。不肖ながら、大師請来型(写し)の五鈷杵・金剛鈴。金剛盤を内陣の修法壇上に戴いて、遍照金剛空海弘法大師に世界の安寧を潜象・現象含めてお導き下さるようせつに願わざるを得ない。
(それにしても、この現象界は自身を含めあまりにも無明きわまりない・・・・)そう問いかけると、その見えざる気配は「その煩悩の雲を取り除けるのはまさに神のみ。にもかかわらず神の名のもとに戦争を起こす人間の浅ましさは、人間自身があるがままを観察して気づき、悔い改めないかぎりいかなる神理も無明である。彼らは神を見ず愚かな人間を見て相争う。それ故、罪業深き人類であるからこそ、自己の奥にある不生の仏心をあるがままにみる観法すなわち自己凝視こそが、本不生なる神と不生の仏心たる自心を如実に知ることができ、意識の全的変容を遂げることが必要なのだとブッダはわれわれに説かれたのだ」と。そうして、小生にある不思議な書物が、いま、ここに与えられた。読み人知らずの『不可知の雲』。死のふちにたつものへの最後の魂の救済の書なのかもしれない。
この書を手にして思うことは人類ひとりびとりがひたすら神の慈愛に気づくあるがままの自己凝視による観想法を修することが何よりも大事なことであるということであった。
萬歳楽山人 龍雲好久
もろもろの想いに攻撃されながらも 不可知の雲のほうへさしのべられた 小さき魂の愛
【光りあれ!】
【参考文献】
『エノクの鍵』J・J・ハータック 紫上はとる・小野満麿訳 ナチュラルスピリット
『不可知の雲』作者不詳 奥平平八郎訳 現代思潮社