(カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット メロー ホル ハアレツ ケヴォドー)
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の惨状をまのあたりにして、激しい憤りをおぼえる。国連や安全保障条約機構などの国際的安全の規範を完全に無視し、しかも、核兵器によるせん滅をも辞さないという構えで戦争を起こす。しかし、これに対して、この挑発に乗って世界大戦に及ぶことのないよう必死の対応をとっている世界だが、未だ侵略の蛮行を止められずにいる。極悪非道の破壊と無差別攻撃を繰り返すプーチンの戦争をだれも止められないというのか。実に愚劣で恐ろしいことであるだけに、世界は全く無力であってはならないはずなのだが・・・・。
現実化した戦争犯罪の問題に対し、人類がどう向きあっていくか、大きく問われ、地上世界の平和存続の岐路に立たされている。
前号で明らかにしているように、小生の近辺において、すでに、こうした人類の愚行を危ぶむかのように示された氷の聖体出現をまのあたりにしているだけに、「なぜ、見えざる世界はこの蛮行を止められないのか。あくまで現象界の人類の責任においてこの戦争を止めなければならないからなのだろうか。」そのことだけが気がかりであった。
そのような折、不可思議にも『不可知の雲』を偶然手にし、開いてみるとそこには次のようなことが記されていた。
ここに第三十八章が始まる
単音節の短く小さい祈りがなぜ天を貫くのでしょう。確かにそれは祈る者の霊の高さと深さ、長さと広さにおいて、全霊を込めて祈られるからです。その祈りは、霊の全力を用いるがゆえに高いのです。この小さな音節の中に霊の全機能が含まれているゆえに、それは深いのです。感ずるままに感ずるところを、叫ぶがままに叫び続けるがゆえに、それは長いのです。己れに欲するところを他のすべての人々にも望むがゆえにそれは広いのです。(中略)そうです、非常に罪深い魂であっても――それはいわば神にとって敵であるのですが――聖寵により霊の高さと深さ、長さと広さにおいてあのように短い音節を叫ぶに至るならば、その鋭い叫び声は常に神の耳に達し、必ず助けられるものです。
実例によって御覧下さい。あなたの仇敵が恐怖の余りわれを忘れ、精神の高みにおいて、「火事だ」とか「嗚呼」とかいう短い言葉を絶叫するのを聞けば、彼が敵であることも忘れ、この悲痛な叫びにかき立てられ引き起こされた純粋な憐憫の情のため、あなたは立ち上がり――そうです、真冬の夜中であっても――火事を消し、あるいは悩みを鎮め癒すため手助けに馳せ参じます。ああ主よ、人間は敵意を抱いている人に対してさえ、聖寵によりこれほどまでに深い慈悲と憐憫を持つに至るのですから、人間が神の霊の高さと深さ、長さと広さに作用されて形成される場合、神はその魂の霊的叫びに対し如何に多くの慈悲と憐憫を持ち給うことでしょう。人間が聖寵により有するものを、神はその本性において持ち給うからです。疑いもなく、比較を絶してはるかに多くの慈悲を神は持ち給うのです。本性において有するものは、聖寵により有するものよりその本体に一層近いのです。
ここに第三十九章が始まる
要は、われわれの霊の高さと深さ、長さと広さにおいて祈ることです。それも多くの言葉を用いることなく、単音節の短い言葉を用いて祈るのです。そうした言葉はどのような言葉なのでしょう。(中略)
祈りとは、その本性において、善を獲得し悪を除去するために、神に向けられた敬虔な志向にほかなりません。
ところで、すべての悪は、原因としても存在としても、罪のうちに包含されるものであるゆえ、われわれが悪を除くために熱心に祈らんとする時は、「罪」というこの短い言葉以外の何事にも心を向けることなく、他の多くの言葉を話したり考えたりせぬようにしましょう。われわれが善を獲得するために熱心に祈らんとする時は、「神」という言葉以外の何事をもまた他のいかなる語をも、言葉の上でも思考の上でもまた欲求の上でも、叫ばぬようにしましょう。なぜなら、すべての善は、同時に原因としても存在としても神の内に在るからです。(中略)
ただ聖寵のみにより得られ、あなたが用いるように神から促された言葉以外は、祈りに用いるに他の言葉を以てしてはなりません。しかしもし神がこれらの言葉を用いるようあなたを促し給う場合には、それらを捨てることのないよう忠告します。(中略)なぜなら、それらはごく短い言葉であるからです。(中略)恐怖におののく男女に認められます。彼らは災難の助けを大方手に入れてしまわないうちは、「嗚呼」とか「火事だ」とかの短い言葉をとめどなく叫び続けることから理解できましょう。
何気なく記されている「ただ聖寵のみにより得られ、あなたが用いるように神から促された言葉以外は、祈りに用いるに他の言葉を以てしてはなりません」と言う表現に心が止まった。「ただ聖寵によってのみ得られる祈りの言葉」とは何か。
「不可知の雲」の先にある「神の愛」が「忘却の雲」の下で愚かな「欺瞞と暴力という原罪」に苛まれる人類の愚かさを解放させる「神愛」なる聖寵の祈りとはいったい何であるか。当然、その性質上、この書を精読すれども聖寵による祈りの言葉が直接記されてはいなかった。
やはり、全き信仰観想の目を以てしないとかかる聖寵の祈りの言葉はわが密教における真言のように証されないものであるというのだろう。秘密には如来秘密と衆生秘密があるように・・・聖寵のみに依るしかないのだろうか・・・・しかし、世界は最大の危機に見舞われているというのに、わたしのような愚人が聖寵の域に達しうるまでを待っていたのでは、永遠に救いはないのではないだろうか。いま、燃えさかる禍の炎を消し去ることができなければ、滅びるしかないのであろうか?
しかし、聖寵は人間の出来不出来に左右されるようなものではあるまい・・・ そう思いながら座より立ち上がると、傍らおいてあった『エノクの鍵』に手が触れ、その本がバサリと床に落ちて、あるページが開かれた。そこには、ヘブライ語の不思議な文が示されていた。調べて見ると、それは、イザヤ第6章3節にあることばであった。
ヴェカラー ゼエルゼ ヴェアマル
カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット
メロー ホル ハアレツ ケヴォドー
(そして声を上げて 互いに 言った
聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな 万軍の主 ヨッドヘー ヴォッドヘー
全地に 彼の光が 満ちている)
このヘブライ語の文を見て、まさに、これは「ただ聖寵のみにより得られ、人類に対し、神から促された言葉」であるかもしれないと思い、全身に稲妻が走り、魂が打ち震える。さらに、紀元前八世紀に預言者イザヤによって書かれたこのイザヤ第6章3節を調べてみると、その第6章に11節からの内容は、まさに、いまロシアによるウクライナ侵攻の惨状とオーバーラップするものがあり、戦慄が走る。ちなみに、それはこうであった。
彼は言った。
町々が廃墟となり、住むものが全くいない。家々には全く人影がない。
そして、大地は荒廃し、崩れ去るときまで。
主は、人々を遠くに移される。
国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。
切り倒されたテレビンの木、また、樫の木のように。
しかし、それでも切り株は残る。
その切り株とは、聖なる種子である。
仏教僧である小生にはヘブライ語の聖書のことは全く不案内であるので、これが聖書の文脈上、何を意味するのかその全体はわからない。この後に救い主インマネール(イエス)の予言がなされている。よって、小生のような門外漢が、この世界に分け入ることは不遜きわまりないものであるし、小生には至難の業でもある。
では、なにゆえに、いま、ここに、
カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット
メロー ホル ハアレツ ケヴォドー。
なるものが明確に示されたのであろう。
門外漢であるからこそ、『不可知の雲』がいうように、「ただ聖寵のみにより得られ、あなたが用いるように神から促された言葉以外は、祈りに用いるに他の言葉を以てしてはなりません。」と恩寵が顕れたとしか言いようがない。
さらに、驚いたことには、国連ビルの礎石には、このイザヤ書2章4節が刻まれているのである。
主は国々の争いを裁き、多くの民をいさめられる。
彼は剣を打ち直して鋤きとし
槍を打ち直して鎌にする
国は国に向かって剣を上げず
もはや 戦うことは学ばない。
ブッダは人間ひとりびとりが自己をあるがままに観察する気づきを持って悪業深い自我の性からの脱却を促された。真実の中に偽りを観じ、偽りの中に真実を観じ、真実を真実と観じ、偽りを偽りと観ずることで、人類の変革を促されている。世界は自身であり、自身は世界である。自我の欺瞞性を棄てていのちの深いに洞察によってしか変革は起きない。
人間というもののありとあらゆる不安、暴力、絶望、恐れ、強欲、たえまない競争心を抱え込んだまま、社会と呼ぶ一定の構造をつくりあげてきたという事実。その社会には、それに特有の道徳性と暴力性が備わっている。よって、人間として、人は世界中で起きているどんなことにも――戦争や、紛争や、内外で起こっている葛藤に対して責任がある。われわれ一人ひとりに責任があるのだが、われわれの多くがそれを本当に感じているかどうかは、疑わしい。
『不可知の雲』も、その全体を通して、ブッダの気づきである観想法が脈々と示されていた。そして、この度の恩寵?によって示された祈りの言葉「カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット メロー ホル ハアレツ ケヴォドー」はたまたま偶然では片付けられない非常に重要な見えない世界からのメッセージのように思えてならない。
この度のプーチンの戦争によって、人類のいまと未来に人類がおかしてはならない平和のためのありようを覆す根本業の問題が問われている。人類はこの武力戦争という手段を手放さない限り、間違いなく「最後の審判」は下されるであろう。誰に下されるのか。神でも仏でも悪魔でもない。われわれ自身にである。
ウクライナの悲惨な現状を目にする毎に心が痛む。早く止められないものか。
無能なものだが、日々の真言行の修法に真言と同様にこの恩寵による祈りの言葉を称える毎日である。
萬歳楽山人 龍雲好久
参考文献
古典文庫『不可知の雲』作者不詳 奥田平八郎訳 現代思潮社
『不可知の雲』ウィリアム・ジョンストン校訂 斎田靖子訳 エンデルレ書店
『エノクの鍵』J.J.ハータック著 紫上はとる、小野満麿訳 ナチュラルスピリット
『トーラー祈祷書:ヘブライ語旧約聖書』シナイ出版
『イザヤ書T』 ヘブライ語聖書対訳シリーズ ミルトスヘブライ文化研究所
『聖書ヘブライ語日本語辞典』 古代語研究会編 谷川正美著
『あなたの中に全世界がある』J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳 PHP研究所 スダンフォードの特別講義