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作成日:2011/06/20
心の通信H17.3.16《ひとつの繪》
ひとつの繪

 もうこんな処には人も住まないだろうと思うほどだいぶ山奥深く分け入った。突然、視界が開け、その山間の湖畔が目に入った。山また山が続くその谷間からはいくつかの滝と渓流がそこで合流しているのが一望できた。湖畔の向この丘の一角にはいくつかの民家がひっそり身を寄せ合うようにしてあった。さらに湖畔の右奥の方には石段が山奥に続きそこを辿ると、山の中腹当たりに五重塔があり、さらに堂々とした立派な本堂が見えた。全てがスッポリと山々の気に溶け込んでいる。
 ちょうど私の傍に大きな山桜の木があって、見事に満開であった。その木の傍に腰を下ろし桜の花を楽しみながら、思いがけず出会った仙境の春の眺望にしばし時を忘れていた。あちこちで鶯が鳴き、時折峪わたる声が深くこだまし、微風がわたるたびに花びらが舞う。実に長閑である。岩肌が覗く山々には赤松が茂り美しく緑なし、遠く谷間の雲のように山桜があちこちに咲いてた。湖畔の色は何ともいえぬ美しい青をしていた。あちらこちらから清流が流れ込みその水しぶきは白く輝き飛び跳ねていた。ずっと眺めているうちに、湖畔の左奥のほとりで蟻ほどに小さいが、確かに人がたった独り、釣り糸を垂れて楽しんでいる。
 その姿が目にとまった瞬間、全山に一体に「いのち」の息吹が圧倒する力で漲った。天地自然の全てがドンとそこに一塊となって存在した。それはどこまでも広く、どこまでも閑かで、しかも「いのち」の本流で漲っていた。この流れは、そこに人がいなければ気づかなかった。そこに彼が座っていなければただの描かれた風景でしかなかった。
 不思議なことにいつの間にか、私は彼の傍らに座って湖畔を眺めていた。しばし、無言ながら会話を楽しんだ。
 この風景を描き出していたのは彼であった。彼は90を遙かに超えた老人であった。大正時代に京都絵画美術専門学校を卒業し、長いことある宮家の日本画の御前教師勤めていた。明治・大正・昭和・平成の世界的な大転換機の激動の中を駆け抜けた人ではあったが、その境涯は仙境に棲む仙人のごとき人生で、孤高の生涯を送ってはいたがその人柄を慕う人は絶えることはなかった。
決して奢ることなく、名声をきらい、真実の人として隠遁し、あう人ごとに天地自然の理を示し続け、苦しみ悩む者の縁となり道しるべとなっていた。しかし、彼が実際に住んでいたのは、市街地のど真ん中、すなわち市井にあって常に人々とともにあったのである。彼には家族はいたが、小さな一軒家に独り住まいであった。つい先日、この世を去った。程なくして、彼の住まいはマンションを建てるため取り壊されることとなり、彼の全ての遺品も含め二束三文で処分されることになった。たまたま知らずに現場を通りがかった彼を慕う方が、この古老が六枚の唐ベニヤの襖に描いた大傑作がまさに無造作にはずされ、ゴミと一緒に打ち捨てられていたのを発見、涙ながらに遺族に懇願し、もらい受け、供養とのため寺に奉納してきたのである。
 幸いなるかな!ここに無名の襖絵が残された。「独り生きること」の真の境涯を一枚の絵に顕した見事さは、見る者をしてして感動させて止まない。無名に徹したが故のすごさであった。釈尊の教えが人類にもたらされたことに匹敵する大作である。この無名の絵を天がこの世に残れたことに深く感謝したい。
            萬歳楽山人  龍雲 好久