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作成日:2011/06/20
心の通信H19・1・11《創造に満ちた新たなるとき》
 創造に満ちた新たなるとき

 繰り返す自然の四季の中で、人々の生活も四季に合わせて、一年一年、新たな年を迎えて再生を目指す。
 しかし、昨年は大雪だった冬も今年は暖冬でまるで雪が少ないように、一見、繰り返される四季であっても決して同じことの繰り返しではない。
 大宇宙も自然も個々の生命体もそれぞれが大宇宙大自然の営みの中で、循環のリズムを通し、相互に関わり合いながら生かされ生きている。その繰り返しのリズムの中ではぐくまれる生命は、いのちの再生というなかで、一見、形状維持され続けているのだが、しかし、実は、時々刻々、一瞬一秒、一日一生、一年一劫、全く新たな生命として、新たないのちとして創造され生み出さ続けているものであって、生命というものは、決して、再生といった古きもののパターンの機械的な繰り返しではないのである。
 生命の循環や大宇宙大自然界の変化変滅は、常に全く新しきものの創造のプロセスであり、われわれが認識している今という一瞬一瞬の生命は、かつて(過去に)存在せず、これから(未来に)も存在しえない全く新しくて、二度と無い貴重なかけがえのないいのちとして、大宇宙・大自然界の営みを通して現出しているものであることはいうまでもない。
 すなわち、朝に目覚め、夕べに死すわれわれ自身の一生、いや時々刻々に生滅するわれわれ自身の一生は、常に新たなるものの出会いと終わり、新たなるもの創造と完結であり、二度と無い人生の一生ということにほかならないのである。
 しかし、こうした二度と無い人生、一生というかけがえのないいのちを、この、いまの瞬間に頂いておりながら、果たして、われわれは、どんな思いでこのかけがえのない一瞬に立っているのであろうか。
 頭脳や知識、自我意識の精神の働きが突出した人類は、自我意識の葛藤の諸問題を常に孕みながら、良きにつけ悪しきにつけ、その経験を土台に新たな展開を試みようとと絶えず格闘し、今日までの人類社会や自己の人生を形成し続けている。それらはすでに自分自身や社会や世界のあらゆる諸相を見ても明らかなように、絶えず、経験に条件付けられた物の見方、範疇に縛られ、こだわりから脱しきれないことが大半である。勝者、敗者にかかわらず、人類の意識の根底には常にこうした自我や自己中心性が横たわり、まとわり続けるため、それが、自らの関係性と人生の方向性を条件付け、決定付けている。これがほとんどの人のありのままの人生ではないだろうか。しかし、なぜそんなにまで、民族も、国家も、社会も組織も家庭も個人も自分にこだわるというのであろうか。それは、自分の脆弱(たとえば、人間関係などから生ずる様々な葛藤や軋轢、自分が否定され無視されていることへの激しい怒りや不安心・恐怖心が本能的に狭い自己に回帰し、自分を守ろうと自我にこだわるといった未熟さ)からくることが多い。
 しかし、自我を拡大しようと自我を縮小しようと、その背後に自我が残る限り、この条件付けからは解放されることはない。
 相変わらず自我という古い経験という殻に閉じこもった人間の愚かさとは全く無関係に、生命は時々刻々と全く新しいいのちを創造し続けているのが現実である。
 どうだろうか。あなたがいま、たとえどのような境遇にあろうとも、いま、あなた自身が迎えている新たな一年、新たな一瞬(とき)に対し、古い経験や過去の傷を清算し、古い殻を脱皮して立ち向かうことはできないのであろうか。それができない限り、相変わらずあなたは、死んだも同然の自我の渦巻く人生をぐるぐるまわるだけであり、決して、創造的な人生を見いだすことはできないのではないだろうか。
 創造的な大宇宙大自然の中で、いま、ここに、新たないのちを与えられている創造的な一瞬、この一瞬にあなたは古い過去を脱ぎ捨てることによって、もう終わってしまった過去に対するこだわりが消滅させることによって、あなたは、いまの中に新たなかけがえのない無限なる生命として創造的に人生を切り開くことが可能になる。
 お互い、新たな創造にみちた人生を未来永却に渡って、刻々として生きていこうではないか!
              萬歳楽山人 龍雲好久