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作成日:2011/06/20
心の通信H20・7・17《いま、地震よけの山、萬歳楽山に入る》
いま、地震よけの山、萬歳楽山に入る

 ここのところ、近くにある萬歳楽山に頻りに関わろうとするグループが現れ、数年、山に分け入ることを控えてきたが、山に分け入らざるを得なくなった。このグループは信仰篤く、親切な人々であるが、彼ら独自の儀式で山の神々に挨拶し、供養しながら入山する。彼らは昨年からこの山に興味を持ち、三度目の仕上げの入山で、是非、同行してくれと請われ、それで同行した。彼らは神道系だか、これといって特異なものは何もなく、きわめて凡庸ではあるが、謙遜な人々であった。
 この日はあいにく低気圧による暴風雨で、入山はかなり困難を極めた。だが、彼らは柳の如くしなやかに、というより、かなりしたたかに入山している風であった。
 おもしろいことには、彼らがびしょぬれになりながら、山笛で呼びかけると、実によく山が呼応してくるのであった。山も人々によく応えるもので、それは感心するほどであった。もちろん祈りを捧げることに夢中の彼らには、そのことに気づくものはひとりもいなかった。彼らはところどころ山の神聖なる場所で、祈りを捧げ、人類の平安を祈願していた。むしろ場違いなのは、わたしの方で、独り、本初不生の佛心行による萬歳楽山の覚醒をうながす祈りを捧げていた。しかし、これを妨げるものは誰もなく、どしゃ降りの荒れた山にもかかわらず、山は歓迎しているかのようであった。最近になって地元の山の会のメンバーが、誰でも気軽に萬歳楽山に登れるよう、道を切ってくれたばかりで、山頂には見晴台まで設置されており、お陰で、登山は以前と比べかなり楽なものであった。
 実は、この山はながいあいだ人の入山を控えさせてきたきらいがあり、はたして、登山道ができて入山しやすくなったことを喜ぶべきかどうかは、まだよくわからない。ただ、多くの人々に「癒しをもたらす山」ということで、この度は入山し、彼らの申し出を受けて、薬師如来を勧請し、人々の入山の許しを請う目的があった。
 その後、いくつかのグループが入山し、地元の人々も少しずつ入山するようになり、新聞でも萬歳楽山のことがよく報道されるようになった。
 しかし、気になることは、この山は昔から地震や災害よけのために「萬歳楽・萬歳楽」唱え、祈願をこらす霊山であり、人々が大挙してこの山に入山することは、癒しに対する人々の我欲が、山の霊気を乱しかねないのではないかという、心配であった。案の定、程なくして四川省に大地震が起きてしまった。(必ずしも関係していると断言できるものではないが・・・)
 そこで、萬歳楽山のエネルギーの解放の本来の意味を理解してもらうべく、縁ある人々三十名ほどで入山し、山頂において不生禅を行った。このときは萬歳楽山自身が入山するものを選んでいるかのようであった。というのも、三百名を超える人々に案内を出したのだが、参加申込者は五十名であった。ところが登山の前日から雨が降り出し、その日の朝まで降り続き、雨天中止としていたため、集まったのは二十七名であったからだ。しかし、いざ登山に向かうときには、雨はすっかり上がってしまった。老若男女ゆっくり、ゆっくり、登山し、頂上に向かった。山は実に穏やかで、訪れるものを優しく包み込んでいる。人々の心は皆清浄になり、険しい山であるだけに、お互いの心遣いが優しく響き合い、その心を山そのものが歓迎しているようであった。山頂からの眺望はすばらしく、歓喜の声がこだまする。しばし不生禅行う間、山のエネルギーが竜神の如く山頂を駆けめぐり、唱えあげる『本初不生心行』と呼応した。山と登山者とを包み込み、あたりを清浄なる気で満たしはじめたことを全員が感じていた。
 しかし、後日、二つの町で集った他のグループの入山間際に、今度は、岩手と宮城の内陸で大地震が起きてしまった。実は、人々と萬歳楽山とが関わると、決まってその前後に大地震が発生しているといわざるを得ないのだ。神戸の時も、中越の時も、どういう訳か萬歳楽山に導かれていた。おそらく、大地のエネルギーと人々の心とがどこかで繋がっているのだろうか?まるで予知するかのように萬歳楽山に人が入るのである。不思議である。もちろん、人間の都合でこうしたことがなされるわけではない。でもただ、こうした身近な出来事をとうしてみても、昔の人々が、この萬歳楽山に地震よけの山としていたことも、宜なるかなと思わざるをえないのだ。
 ところで、二つの町のグループの登山は、晴天に恵まれ、すばらしかったようで、その様子が新聞報道されていた。
 さて、こうも、頻繁に地震と関連するとなると、萬歳楽山の開放系を目指すうえで、重要なことは「不生の仏心」という「人類意識の変容」をもたらす山が萬歳楽山であることを人々にもっと理解してもらわねばならないこととなる。そのためには、私自身がそのことを山に確認せねばならず、その確認のために、三度目の山頂不生禅を、縁ある人々に再度呼びかけた。しかし、この三度目の入山に際しても、萬歳楽山そのものが、入山するものをより厳密に限定した。というのも、人が入山者を選ぶべく意図したことはなかったからである。日にちも予定した日ではなく、天地から与えられた日であった。しかし、この日は低気圧による大雨で、風さえあった。この日の入山者は大人二人に小学生一人と、わずか三名であった。しかし、山は明らかにこの三名のものに奇瑞を以てその入山を喜び迎えいれた。なんと、三人が歩くところだけ雨が避けるのである。まるで天が傘をさし、雨がかからぬよう計らってくれているかのようであった。雨降りしきり、ガスかかる山頂においてさえ、1時間ほどの重要な祈りのときも、『般若理趣経』の経文も濡れなくて済んだのだ。これは、実に不思議なことであった。暴風雨で山全体は激しく揺れているのにもかかわらず、ちょっと腕を伸ばせばそこは滝のように降りしきる雨に濡れるのであるが、われわれの部分だけ降っていないのである。雨合羽は用意していたが不要であった。
 こと、それほどに山は呼応するものである。まさに霊山という他はない。この山に入山するときは、この不可思議なる山の霊性に深く敬意を表し、単に物見遊山に入ることなきよう願いたいものである。 
 この萬歳楽山の深秘は、霊妙不可思議なるマイトレーヤー弥勒仏アルミトラの不生のエネルギーが顕現しているところにある。このミトラ神マイトレーヤ弥勒仏は全人類の不生の仏心の覚醒を促している。いつまでも愚かな闘争を繰り返している時代ではないことを指し示しているのである。
     萬歳楽山人 龍雲好久