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作成日:2011/06/20
心の通信H20・9・5《インテグラルスピリチュアリティ》
インテグラルスピリチュアリティ

 相変わらず普段から比べると過酷なほど法務(寺の勤め)に忙しい盆の月ではあったが、この夏は、やはり、いつもとは異なるものであった。盆にはご先祖をお迎えし各家庭でともに過ごす月であり、また、併せて精霊棚というものを飾り、あの世で餓鬼飢饉の苦しみに喘ぐ精霊にも供物を添えて回向する施餓鬼供養をする家や寺も多い。
 このような盆の行事は、もちろん、日本に伝わった仏教から起こってきたものだが、自己のいのちをつないできた先祖があることや、また、餓鬼飢饉の苦しみに喘ぐものがいるということそのものは、宗教の教え如何によるものではなく、人間社会の実相から生じた事実からきている。
 ふと、あなたが、自らのいのちのよって来たるところを問うてみるとき、そこに両親をはじめそのまた両親、さらにそのまた両親と先祖をさかのぼり、祖先を想い、さらにその先にある連綿としたいのちの営みを感ずるとき、自ずと神を崇め、祖先を敬わざるを得ない気持ちになるのは、ごく自然のことで、特殊な宗教の教えなどというたいそうなことではない。
 また、餓鬼飢饉の苦しみを味わう者への思いやりというのも、やはり、災害や戦争、病気などに見舞われ苦しんで死んでいった最愛のものへの悲しみと思慕の念いであり、これも、ごく自然のことであり、特別な宗教のことではない。
 迎え火・提灯・読経・送り火・盆踊り・灯籠流し・浴衣・夕涼み・・・あの世にいる者とこの世にいる者とのしばしの心の交流、ここには困難な時代にあっても心のふるさとを思い、いのちの源を思う心が働いている。帰省がどんなに大事なものか、苦労している者ほどそれを思う。帰る場所もない寂しさも含めて・・・・。
 そして、心のどこかでわかっている、どんなに忙しくとも、どんなに自分のことで精一杯であろうとも、どんなに寸暇を惜みいやいやながら働らかざるを得なくとも、いつか、あの夏の蝉や秋の虫のように、ぽとりと命を落とし、ぱたりと泣きやむときがある。その沈黙のとき、わたしはいったいどこへ帰るというのだろうか・・・。それを思わぬ人はあるまい。
 いま、ここで、生死を超えたいのちの源を思うことのできる者は、たとえどんな過酷な状況にあろうとも、微動だにしないおのれを感ずることができる。たとえ、刻々の死を迎えつつあろうともその死を覚悟する者に死の恐怖はないように、仏心という平常心ただ一つで居ることができるのは、いま、たたされている事実に直面する自分であることだけでよい。自分自身でいる者はおのれのよって来るものとともにある。すなわち不生の仏心そのものである。望郷の念に駆られるあなたは自分を忘れているからに過ぎない。帰省するのはその自分自身を取り戻すためである。
 宇宙生成以来、先祖代々賜り、受け継ぎ、いまを生きているわたしのいのちは生死を超えた不生のいのち(仏心)ただ一つ。ここから全ては派生し、ここにみな帰る。始めも終わりもただ一つのいのち、それ故に始めも終わりもない原初から活き通しのいのちでもある。
 たとえ施餓鬼によらずとも、あの悲惨な紛争や飢饉による人々の塗炭の苦しみを思えるのはあなた自身がその苦しみを味わってきたからに他ならない。あなた自身である活き通しの不生の仏心であるがゆえに、全生命の過去・現在・未来の悲しみや苦しみ、憎しみや恐怖が含み込まれている。全てはあなた自身であることを了解しているのが不生の仏心である。
 いま、我が国を含め世界はそのリーダーをはじめ、人類全てがこれまでの価値観に基づいていてはどうすることもできない多くの問題を抱え、右顧左眄している。全く誰もあてにならないような状況を呈しているかのように思える。しかし、この狂乱した実態こそが世界が超えなければならない問題の所在を明示しているのである。その解決の糸口は何か?それははっきりしている。混乱しているのは「誰か?」と問うことにかかっている。
世界が混乱している、彼が混乱していると、そう思っている「あなたは誰か?」と問うことにかかっている。
 しかし、どうして、なぜかと問うことにそれほどの意味があるというのだろう。
それは、世界はあなたであり、わたしが世界であり、全ての混乱と矛盾を含み超えた全く新しいインテグラルなスピリチュアリティを有するものであり、普遍的な自己である不生の仏心そのものであるからに他ならない。あなたを含め、わたし自身が世界のあらゆる現実を直視するなか、それらの矛盾と混乱、主義主張や発達のことなるもの同士の愚かな相克を含み超えた、全く新しい統合的ビジョンをもたなければならないし、創発しなければならない。
 ここ数年の間に、人類は否応なしに、この問題に直面し、変わらざるを得ない危機的状況にたたされるであろう、そして、その危機を打破しなければならないのは、他人ではなく、「わたし」自身に他ならないのである。

                                    龍雲好久