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作成日:2011/06/20
心の通信H21・7・21《大楽金剛不空真実三摩耶経(たいらきんこうふこうしんじつさんまやけい)》
大楽金剛不空真実三摩耶経(たいらきんこうふこうしんじつさんまやけい)  

弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が弟子達に常用(いつもお唱え)するように指示しておられた経典に『般若理趣経(はんにやりしゆきよう)』というお経がある。正式なお経の題名は『大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品(たいらくこんごうふくうしんじつさんまやきようはんにやはらみたりしゆぼん)』といい、お経としてはかなり古く、密教が伝わる以前からある経典で、サンスクリット(インド)やチベット語の経典も残っている。日本の真言宗では中国唐代の大広智不空三蔵(だいこうちふくうさんぞう)が漢字に訳された経典を使っており、今日、法事やお葬式には必ずお唱えする。しかし、一般的には『般若心経(はんにやしんぎよう)』ほどには知られてはいない。どちらも膨大な「般若経」という経典群(漢字に訳されたものだけでも六百巻以上)に属し、「空」という仏教の根幹を扱っている経典である。特に『般若理趣経』はその中でも真言宗の最重要経典として特筆されている。理由は、経典の中で「これを書写(しよしや)し、読誦(どくじゆ)し、思惟(しゆい)すれば、無量の重罪があったとしても、必ずその罪をあがなうことができる(救済)」と繰り返し述べられていることにもよる。  
その内容はと申せば、これが、なかなか深秘(じんぴ)(奥が深く霊妙不可思議)なものがあり、真言の弟子ですら、うかつに解釈を下してはならないと厳しく諫められるほどのものがある。それゆえ、日常読誦されても、その意味は?となると、よほどの大阿闍梨(だいあじやり)でないとお話できなことになる。これは宗教的信仰上の問題もさることながら、いわゆる経典研究に学問的解釈上の問題が大きく関与している。特に真言宗はサンスクリットを仏陀如来(ぶつだによらい)の真実のことば(真言)としてそのまま伝承いたすことを旨としているので、なおのこと秘密めいてしまっている。  
だが、私どもが、せっかくこの世に生を頂戴して、この『般若理趣経』を知らず人生を終えることは実にもったいない!また、この経典に流れる「空(くう)(本初不生(ほんぞふしよう))」と「大悲胎蔵(だいひたいぞう)(慈悲)」の仏心こそわれわれの本質であるから、これを知らずして人類の未来はない!
私は幼少の頃より、ある志しを立てて僧侶の道のご縁を頂いてきたのだが、しかし、人生には思いも掛けぬ落とし穴があって、自分の至らなさと愚かさにより、取り返しの効かない大罪を犯してしまったことがあった。その罪はいまでも死罪を持ってしても決してあがないきれるものではなかった。本来であれば、こうして書いていること自体許されるほどのものは微塵持ち合わせていない者なのだ。まして、真言の阿闍梨などとどの面下げていえるのか!。自らの罪を知れば知るほど奈落の底にある苦しみよりもなお苦しい。苦しいと思うことすら許されぬ、その罪という事実の前に、これまでの自己の意義は木っ端微塵に吹き飛んでしまったのである。他の誰が許してくださることはあっても、自分自身を赦せなかった。   そういえば、最近出た『ZEN』という映画のなかで道元禅師(どうげんぜんじ)がもっとも信頼を寄せて、「典座(てんぞ)」を任せていた弟子が、修行中に罪を犯してしまい、弟子はその罪の重さに耐えきれず、道元禅師に願い出て、このような自分がいてはお山に迷惑がかかると、自ら山を下りることを願い出た。しばらく見守っておられた禅師は「まだ鬼は去らぬのか?」と尋ねられる。他の兄弟子たちは見かねて、その弟子に「去ったと申し上げよ」と進言するのだが、弟子はただ涙をこぼし、お赦し下さいと低頭(ていづ)するのみであった。袈裟(けさ)と法衣(ほうえ)と鉢(はつ)を残し、山門(さんもん)を下りる、遙か彼方の愛弟子にむかって、禅師は「永平寺はいつでも開かれておるぞーっ」とお声を掛けられる。そのようなシーンがあったが、その弟子の心が痛いほどよくわかる。そして道元禅師のお言葉が痛いほど胸に響き、私自身思わずその場で慟哭してしまった。  
そのように、いかんとも度しがたい自分でいるとき、ふと、『般若理趣経』の次の一説にであった。

所謂妙適清淨句是菩薩位。慾箭清淨句是菩薩位。觸清淨句是菩薩位。愛縛清淨句是菩薩位。一切自在主清淨句是菩薩位。見清淨句是菩薩位。適悦清淨句是菩薩位。愛清淨句是菩薩位。慢清淨句是菩薩位。莊嚴清淨句是菩薩位。意滋澤清淨句是菩薩位。光明清淨句是菩薩位。身樂清淨句是菩薩位。色清淨句是菩薩位。聲清淨句是菩薩位。香清淨句是菩薩位。味清淨句是菩薩位。何以故。一切法自性清淨故。般若波羅蜜多清浄。金剛手。若有聞此清淨出生句般若理趣。乃至菩提道場。一切蓋障及煩惱障法障業障。設廣積習必不墮於地獄等趣。設作重罪消滅不難。若能受持日日讀誦作意思惟。即於現生證一切法平等金剛三摩地。於一切法皆得自在。受於無量適悦歡喜。以十六大菩薩生。獲得如來執金剛位。  

妙適清浄(みようてきしようじよう)の句はこれ菩薩(ぼさつ)の位なり。欲箭清浄(よくせんしようじよう)の句これ菩薩の位なり。触清浄の句これ菩薩の位なり。愛縛清浄の句これ菩薩の位なり。一切自在主清浄(いつさいじざいしゆしようじよう)の句これ菩薩の位なり。見清浄の句これ菩薩の位なり。適悦清浄の句これ菩薩の位なり。愛清浄の句これ菩薩の位なり。慢清浄の句これ菩薩の位なり。荘厳清浄の句これ菩薩の位なり。意滋沢清浄の句これ菩薩の位なり。光明清浄の句これ菩薩の位なり。身楽清浄の句これ菩薩の位なり。色清浄の句これ菩薩の位なり。声清浄の句これ菩薩の位なり。香清浄の句これ菩薩の位なり。味清浄の句これ菩薩の位なり。何を以ての故に。一切法は自性清浄(じしようしようじよう)なるが故に般若波羅蜜多は清浄なり。
金剛手(こんごうしゆ)よ、若しこの清浄出生句の般若理趣を聞くこと有らば、乃し菩提道場に至るまで、一切の蓋障、及び煩悩障、法障、業障など設い広く積集するも必ず地獄等の趣に堕せず、設い重罪を作るとも消滅せんこと難からず。若しよく受持して日々に読誦し作意し思惟せば、即ち現生に於いて一切法平等の金剛の三摩地(さんまじ)を証して、一切法に於いて皆自在を得、無量の適悦歓喜を受け、十六大菩薩生をもって如来と及び執金剛(しゆごんごう)の位を得べし)  
{仏の胸に いだかれて 妙適(たえ)なるめぐみ 身に沁みつ ふかき慈悲に つつまれる われを知るこそ 菩薩なれ すくい求むる 慾の箭は やがて接取の み手に触れ きよき慈愛に つながれて おもいのままに 生きてゆく まこと仏を見ることも 仏に触れる 適悦(よろこび)も いやます愛は なおさらにきよき慢となりぬべし 仏の智恵に かざられてこころはとわに 滋沢(うるほ)えり み光のもと 身はつねに 楽しからぬは なかりけり 眼に見る色は 仏なり 耳に聞く音は 仏なり 鼻に嗅ぐ香は 仏なり 舌に嘗む味 仏なり それはなぜにと たずぬれば すべてのものは そのままに いずれも浄き ものなれば もしその性に 目覚めれば きよき悟りの 彼の岸に 到れる真実 そこにあり} 
この一説に触れて、不覚にも滂沱たるを禁じ得なかった。  
紙面の都合上、これ以上は遠慮したいが、生涯を掛け、『般若理趣経』に触れつつ、人生の探究を深めていきたいと切に願っている。この尊い「心の通信」の読者に対し、この『理趣経』に触れていただく機会になればと稿を起こし始めた。お許しいただければ、時折、この『理趣経』を取り上げてみたい。
萬歳楽山人 龍雲好久