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作成日:2011/06/20
心の通信H21・11・16《ダメ!ゼッタイ》
 ダメ!ゼッタイ

 最近、覚醒剤や麻薬などの不正使用や依存の問題が俳優や学生などの間で多発している。この問題は日本のみならず世界的にも氷山の一角で、潜在的にはかなり深刻で、人類にとって看過できない危険な問題の一つになっている。
 ことにMDMAなど脱法ドラッグがインターネットやコンビニなどのネット社会を通じて簡単に入手でき、しかも、小中学生にまで広がっている。早急に社会的な対策を講じなければならない。
 それにしても、こうした麻薬や覚醒剤などの恐ろしさは想像を絶するものがある。一度使用してしまうと、その依存性の苦しみから抜け出すことはほとんど困難になる。まさしく麻薬・覚醒剤等薬物乱用防止の標語どおり『ダメ!ゼッタイ!』のしろものなのである。なにしろ、薬物は脳や身体を破壊し、荒廃させ、死に至らしめる。ものである。一端手を出すと、人間の意志でコントロールできるものではなくなる。魔薬である。
 『ダルク』という更生施設がある。薬物依存で苦しむ者の救済のために、薬物で苦しんだ経験者が自ら立ち上げている施設である。深刻な薬物依存から抜けだし、社会復帰復を目指す最後の砦のようなものである。この施設によって、個人的にも社会的にもどれほど多くの麻薬依存者が救済されているか計り知れない。最近ようやく国や医療機関の支援と連携が得られるようになって、一般にも知られるようになってきた。だが、苦しい現場の現実は、なま易しいものではなく、多くの問題を抱えながらも粉骨砕身、暗中模索の努力がなされている。彼らは常に死と隣り合わせにいる。この施設にいるものは、今日という一日、薬物をやらないで過ごせるか否か、ぎりぎりの選択の状態の中で、薬物を使用しないで過ごすことを目標にして過ごしている。彼らのほとんどがこの薬物依存の問題で家庭を破壊し、人間関係を破壊し、仕事を失い、身体も心もぼろぼろ。常に孤独と幻覚にさいなまれ、無為な人生を送ってきている。これは、薬物依存により人間的なものの土台が崩れてしまうという壮絶な苦しみである。
 大半の大人や子供たちはこうした麻薬・覚醒剤等薬物の悲惨さと恐ろしさを知らない。知らずに済んでいることは、幸せなことだが、しかし、問題は、こうした何も知らない子供たち全体が、現代社会において薬物の危険性に無防備に曝されているところにある。不景気が深刻であればあるほど、手段を選ばない集団がこうしたものを資金源にして、国内・国外で暗躍している。悪魔のようなダークゾーンの上に一般社会が載せられたもろいホワイトゾーンのグレゾーン化が進んできている。彼らは狡猾にも、常に興味と関心をそそるべく、手を変え品を変え、まるでお菓子や健康食品のように、気軽な顔をして忍び寄る。「気晴らしになり気分が良くなるよ。嫌なことはすっかり消えて楽しくなるよ。眠気がとれて試験勉強ができるようになる。とてもすっきりして爽快だよ。不安が消えて、不可能なことを可能にする力を与えてくれる。大丈夫、誰々先輩や誰々君だってやっているよ。とにかく良いものだから試してみなよ。なんてことはないよ。若返るし、美しくなれる。痩せられる。活力がでる。幸せになれる。友達とうまくやれる・・・・」これらは犠牲になった子供や大人たちの実際の話しである。何気ない子供同士や家庭の主婦同士の会話で交わされている。携帯メールというツールが拍車を掛けた。いつでもどこでもという便利性が悪の蔓延を推し進めている。
 早急に、子供たちにこうした合成麻薬などに対する正しい知識を与えて、それがいかに危険で残酷で非人間的なものであるかを理解させねばならない。そういったものに安易に手を出す必要のない社会を実現しなければならない。知らないということをよいことに、ごく普通の子が、ごく普通の学生やごく普通の主婦や大人たちがその犠牲になっている。とにかく事故や事件と一緒で、一度遭遇したら、その後の人生を崩してしまう取り返しの効かないものなのだ。未然に防ぐ手だてがなければならない。
 どうか、そういった薬物に手を出している人、薬物を渡している人を見かけたら、すぐに最寄りの警察や保健所に連絡してほしい。とにかく、孤独な人間といえどその陰にはどれだけ大勢の家族がいて苦しんでいることか。そのような地獄の苦しみをもたらすような麻薬を平気で利用し、社会を崩壊させかねないダークゾーン層を顕わにし、解体させねばならない。その悲惨で絶望的な孤独の苦しみから犠牲者がはい上がれるよう、早いうちからの専門家のケアが必要であり、麻薬撲滅のための力が必要なのだ。
 ところで、ダルクはキリスト教系の団体である。残念ながら、仏教系にはこうした救済団体はないようだ。ダルクは国が公認している団体であるから心配はないが、仏教教団にこうした施設が少ないのはなぜであろうか。本来、仏教は一般でいうところの宗教ではなかった。宗教による欺瞞性を打破し、人間の自由と平等を説いたものであった。自らがこの人生の苦悩という現実の中で、その苦悩を解脱するにはどう生きるかを何よりも重んじているものであった。「偽りの人生に浮かれて、酩酊し、眠りこけていてはならない。君は刻々と死に向かっている。本気で目覚めないかぎり、あるのは地獄の苦しみだけである。欺瞞に満ちた社会から立ち上がり、本当の生き方をしなさい。本当の生き方を理解するには、いかにありのままの人生が、自分が、社会が欺瞞に満ちたものであるかを直接見なければならない」というものであった。こうしたことがベースにある仏教は世界を目撃しているもの(自心)を核にする。あくまで自分自身が問題に気づくことを大事にする。それは一見悠長なものであると映るかもしれない。しかし、自分のところが火事だというのにぼんやりしているのは自分が現実を見ずにいるのであり、それは自分の中でどうしようもない戯言で一杯であるということだ。このような仏教の視点は、人格崩壊ぎりぎりまで追い込まれている人間に他者が深く介入してまでその人間をコントロールしようとするものではないといわれよう。もちろん仏教の修行の課程で、心身ともぎりぎりのところまで追い込む修行をするが、あくまで主体性を重んじる。強制やマインドコントロールは自己欺瞞に行き着き、覚醒する(さとる)ことはできないとする。
 しかし、これでは、目の前で火事が起きているというのに自分の修行にかまけているにすぎない。現実を直視できなければこのような問題は常にある。直視するものは常に適切に行動する。
 一方、キリスト教のような一神教はどうであろう。絶対なる神への信仰を誓う宗教では、すべてを神に捧げ、いのちさえも惜しまない。熱烈な信仰が要求される。「汝、疑うなかれ」である。「人間自身の自我は神への冒涜、不敬である。神の前に自分は塵芥にすぎない。神に赦しを請い、悔い改めよ。悪しき自分を捨て、神に全託、神の御心を体して生きよ。しからば、神は汝の苦しみを救い給う。神以外に信じうるものはいない。地獄を破壊し救い救い給うのは神である。汝狭き門をくくれ。ひたすら信ぜよ。この苦しみは神が与え給うた試練である。喜んで受けよ。そして、働け、罪を償え。神に逆らう異端者を打ち砕け。神はなんじとともにある。神に栄えあれ。」地獄の責め苦にさいなまれるものはここに大偉なる神の光明を見いだす。「そうか、神さえ信じていればなんとかなる・・・」また、このような信仰は、しかし、強力なカリスマ性を有する熱狂的な新興の宗教団体にあってもよく行われているものでもある。しからば、地獄はこのような絶対者による救済しかないのであろうか。絶対者を標榜することは、一人一人の心を神の概念で塗り替えることに等しい。マインドコントロールでしかない。緊急待避にはそのような方法も必要であるかもしれないが、根本的には欺瞞である。つまり、医療で使用する魂のモルヒネのようなものだ。魂の目覚めにはほど遠い。
 自らの神性に目覚めることこそが救いである。なぜなら、そもそも、神性にふたをしてしまっていることが闇だからである。本来のものを覆ったり、汚れで見えなくなることはこの世界ではあるけれどそもそもの神性を失ってしまうことはない。しかし、彼らが麻薬により人格を破壊してしまった原因は何であったのか。紛れもなく、家庭や社会や他人や自分に対する不安と恐怖、孤独感にあった。はかりしれない孤独からの逃避行為が自己を欺瞞する行為であり、ますます逃避行に依存性を強めるものであった。それは、薬物であろうが、高邁な宗教であろうが欺瞞にもとづく限り逃避依存性の問題は変わらない。「宗教はアヘンなり」とわれるように、宗教に走るものはまるで麻薬を吸ったように、マインドコントロールされ、陶酔し、忘我状態になり、自己を見失う。神の愛に酔いしれ、いつしかその教団のしもべとなり、その信仰を支え、その教団を維持し、発展させるべく、身を粉にして奉仕し、資金源となる。信者獲得のため、うつろな目をして神の義と愛を説き、救済の旗印の下、同じような人間を勧誘し、信仰の罠に引き入れる。マインドコントロールされた教団の凄惨さはこれまた世界中を震撼させている。脱マインドコントロール化プログラムに同質のマインドコントロールが使用される。なぜ、そうなるのか。安易な自己逃避が根底に流れていること、すなわち自己欺瞞があるからだ。
 そうではなく、自らの神性に目覚めることこそが救いである。このような慈悲と愛の豊かな心と生活による社会をもたらしうるのか否か、人も社会も宗教もそこが問われている。

              萬歳楽山人   龍雲好久