作成日:2011/06/20
心の通信H22・5・5《探求の炎》
探 求 の 炎
今から2,500年ほど昔、インドの地にて、人生の苦悩の問題から、王家の身分を捨てて、出家し、厳しい修行の末に覚醒し、80歳で入滅涅槃されるまで、人々に、苦悩からの解脱を導かれたゴーダ・マシッタールタ釈迦牟尼仏がお示しになられたものから仏教は始まっている。
しかし、不思議なことに、この釈迦牟尼仏がご自身で書かれたものは、どうしたわけか、全く、何も無いのである。釈迦族カピラ城の王子として育った彼は、文武両道に並外れて優れた太子であったがゆえ、なにゆえ、彼自身の直接の教えが文献として残っていなかったのかが不思議でならない。いや、当時はあったが、今は、残っていないだけなのだろうか。とすれば、それは、考えられないことである。というのも、今日までお釈迦様の教として伝えられている膨大な経典は、すべて、その当時のお釈迦様のお弟子さんたちが、お釈迦様がなくなられたあと、お釈迦様から教わった大切な内容を忘れないようにと、お互いに確認し合いながら、偈頌(詩)にして、暗誦し伝えたことから始まる。だから、お釈迦様のお経はすべて「私はかくのごとく聞いた(如是我聞)」で始まっている。お弟子さんの聞き書きは大切に残っていて、お釈迦様ご自身のものが残っていないなどということは考えられない。
では、なぜ、このような事になったのか。小生は研究者でないので、正確なところは判らないが、例えば、文字を書けない人が多かったからというのは根拠にならない。舎利子や目蓮尊者のような学徳優れた高名なお弟子さんが数多くいたからである。おそらく、「お釈迦様とお弟子さんたち」との関係は、「先生が生徒に教える」という関係や「師匠が弟子に伝授する」という類のものではなかったのではないかと思われる。つまり、なにか、ある正しい教えがあって、それをテキストやノートにして、弟子や学生たちに講義や講話を通じて教えるというようなものではなかったのではないかと思うのである。とにかく、お釈迦様もお弟子さんたちも、ただひたすら修行に専念していた結果そういうことになったのだろう。
読者は、仏教経典を奉じている僧侶のひとりである筆者が、なぜ今更、このようなことをクドクドと述べるのであろうと怪訝に思われるかもしれない。もちろん、筆者は、「お釈迦様が、ご自分で書かれたものを何一つ残されていない」というところに、まことに重大な意義があると考えてのことである。
それは、どういう事かといえば、「お釈迦様に、『教え』はなかった」ということ。こう申し上げると、「えっ! お釈迦様の教えはなかったって? そんなばかな・・・だって、まさに『仏教』と言っているではないか。なんの教えもなくて、誰がお釈迦様を信ずるというのか!」と、なお、いぶかしく思われるであろう。
ところが、ここが一番重要なポイントなのではないだろうか。お釈迦様は「文字や概念やイメージや感覚にとらわれると真実を直接把握できないどころか、探求を妨げ、自己欺瞞に陥り、真実を見誤る」と指摘された。それゆえに、『教える』ことはなされず、人々が自ら見出すべく、一人ひとりの探求を促しつつ、彼らとともに独りの歩まれた遊行者であった。概念化された真理の前に立ち止まらず、絶えず今ここに探求する者として、人々とともに在った。指導者としてではなく、何らかの概念上の教えを説くものとしてではなく、一人ひとりの覚醒を促すものとして、ともに探究するものでおられた。なぜなら、お釈迦様はまさに「真理でもないものを真理であるとする宗教の欺瞞性」を見破られた方であったからである。
私達は、なにか困難な問題に悩み苦しんでいたり、自分の無価値をおそれ、なにか価値ある生き方を得ようと必死にもがくときに、誰かに教えを乞うたり、成功者の事例を引っ張り出したりして、とにかく、道を見出そうと、指導者や経験者の考えや生き方にヒントをえようとする。あるいは、信念や信条、絶対なる原理や成功の哲学などをあてにし、超能力者をあてにしようとする。釈迦様の時代も今日も、立派な人間として成功するために、価値ある教えやあり方に頼ろうとし、慰めや安心を得ようとするが、それは自己欺瞞に陥りやすいことは、筆者自身が、これまでなんども指摘してきたが、ここの問題点を把握し理解することが最も困難なことは、その後の宗教化している仏教の歩み、今日の我々自身の一般的価値観を見てもあきらかである。
お釈迦様の核心的なところを次に示そう。(以下、チベット研究で世界的第一人者である山口瑞鳳博士のものから一部引用)。
一切は無常な変化であり、常に未来に経過して失われる。それが知覚されている世界は[虚妄の法]の表象で綴られている。その表象が顕現する瞬間を人間は区別出来ないため、前後の表象を同一視し、静止物として捉える。それらの複数の経験から形態的観念が抽象され、その名称と共に記憶され、「名色」が形成される。静止的に理解された表象はこのようにして成立した「名色」に同定されることで認識される。外在するものが表象として知覚されているという理解に立つため、表象か認識手段の「名色」によって置き換えられると、後者が外界を捕捉しているものと考えられた。「名色」は共に没時的な観念的実体であるため、それで構成される言語体系は変化する外界をそのままでは写せない。そこで、名称の指す実体的事物が「生・滅」することによってその「有・無」の変化が綴られるという表現にならざるをえなかった。これが言語表現の論理を形成した。人間は[名色にによって構成される言語表現の中に日常的に埋没して物を考え、発言して生活する。このようにして、知覚されている目前の外界は、それを描写している言語表現と同様に実体が「生・滅」して「有・無」を繰り返しながら変化しているものとのみ信じられてしまった。
このように理解されている便宜的変化は、「虚妄の法」が「顕現・消滅」して知覚されている表象世界の実相としてありうるわけではない。それゆえ、外界にある実体的事物が言語表現どおり「生・滅」により「有・無」を繰り返して変化していると思われてはならない。この世は実体的特質の欠けた《非相》の世界の知覚的展開であると説かれた。
これは空海・弘法大師も直覚指していた「阿字本不生」である。「阿字本不生」の一句はお釈迦様の「非相」をまさに言い得ておるのであるが、[阿字本不生]は、絶えず今ここに先験的に顕現し、未来に向かって消失する世界を脳の記憶に写真の画像のようにとどめて、何枚も積み重ねて、それをペラペラっとめくってあたかも動画のように動いているとしか感じられない脳の働きの一断面の虚像を絶対視し、挙句の果てに、意識にとどめられた虚像を実体や実像と見誤り、それらに執着して、刻々に今に顕現する大慈大悲の本不生を知らないまま「名色」依存の顛倒に埋もれて苦悩している自分から目覚めることがお釈迦様や弘法大師が指摘された重要なところであった。
上記に引用したお釈迦様の刻心的なところは、実は仏教が伝えられてきた歴史的過程の中で、ある偽政者や僧侶たちによって、意図的に削除されてしまい、中国や日本には全く伝わらなかったという重大な指摘が、仏教学者によって最近なされている。
私たちの頭脳や精神、心の働きがいかに条件づけられているものであるかをしっかりと理解し、その自己欺瞞のカラを打ち破り、探究の炎を自己の内にもやすことが、お釈迦様の親説であったことを示すものである。
宗教や信仰、宗教的な儀礼や宗教的情操心、神を敬い祖先を崇める宗教心、神々に対する畏敬の念、これらのことは、我々の生活において個人においても社会においても大切なものであろう。しかし、そこに自己欺瞞があれば、如何に惨憺たる世界を繰り広げるかは、自明の理である。
お釈迦様はその意味で「教え」という欺瞞に満ちた宗教を打ち破り、本当の意味での宗教心、すなわち、「探求の炎」を持つことをわれわれ一人ひとりに促されている。
萬歳楽山人 龍雲好久