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作成日:2011/06/20
心の通信H22・9・1《覚者(ブッダ)の問い》
覚者(ブッダ)の問い

 あなたは、今、独り居るであろうか。あらゆるものから離れ、あらゆるひとから離れ、あらゆる思考や追求から離れて、自分だけで独りきりになっているだろうか。
 孤立ではなく、孤独に夢想や幻想にふけるのではなく、ただ、離れ、自分自身の想いや思考や感情の雑念がすっかり止み、極めて明晰でクリアーな心境、完全に独りきりになっているだろうか。
 自他の内外で生ずるすべての事象をあるがままに観察し、それらから、すっかり離れ(自由であるとき)、まったくの独りであり、その静寂そのものが、たとえようもない花となり、たとえようもない光となり、思考では測ることのできないもの、時間のないものとなる。あなたは、今、独り居るであろうか。
 そのような、いま、独り居る沈黙のなかに、不生の仏心(慈悲)が、はじめて姿をあらわす。
 そう!あえて不生の仏心(慈悲)をあらわそうとすることはない。不生の仏心(慈悲)は、みずからあらわになるものだ。不生の仏心(慈悲)を意図してはならない。不生の仏心(慈悲)を意図的に行為であらわそうとしてはならない。不生の仏心(慈悲)は、おのずから発現するものだからだ。
 不生の仏心(慈悲)がはたらくとき、そのはたらきには、どんな意図も、計らいも、駆け引きも、願いも、希望も、後悔もない。いかなる矛盾も超えている。あなたは、いま、独り居るであろうか。
 そこには、人間が味わうみじめさや苦しみは、なにひとつない。
 だから、ただ独り、不生の仏心(慈悲)ただひとつで居なさい。
 不生の仏心(慈悲)は、あらゆるものの創造の生命源(みなもと)であり、エネルギーであり、動力(ちから)である。
 だから、不生の仏心(慈悲)そのものでありなさい。
 自分がとおりすぎていったもの(過去)を引きずることなかれ!過ぎてしまったものを引きずれば、そのとき、あなたの生は死んだも同然。記憶にしがみつき、こだわり、執着している限り、あなたは独り居ることはない。
 執着やこだわりから自由になって、あなたは、今、まったくの独りで、居るであろうか。
 不生の仏心(慈悲)というまったき愛の美しさのさなかに、そのまったき無垢のさなかに、その初々しさのさなかにあって、あなたは、今、まったくの独りで、居るであろうか。
 すべては、けっして捉えることも、保持することもできない、全き不生、ほろびることのない創造の動的エネルギーによって、歴時的(刻々)に創造され、至福にして不生なる生命なのである。

萬歳楽山人 龍雲好久