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作成日:2011/06/20
心の通信H23・3・3《アルナーチャラのいのり》
アルナーチャラのいのり

いまここに、刻々に響き給うものは、「アルナーチャラ」の響きである。
しかし、小生がこの響きを意識したのはつい最近のことであるが、それは、意識されようがされまいが、今世であろうが、過去世であろうが、時空を超えて刻々に響きわたっているものであった。しかも、時空を超えているというのは概念上のことではない。「アルナーチャラ」はどこまで行っても、いつであっても「アルナーチャラ」である。
この「アルナーチャラ」を感ずることが可能なのは、現在をおいて他にない。 我々の意識は常に、時空に条件付けられ、制限されているから、感ずることはできても意識的に「アルナーチャラ」を把握することはできない。意識の枠を超えたものであるから、たとえ、その意識のレベルが自我であろうが、心であろうが、魂であろうが、霊性であろうが、真我であろうが、あるいは、物質界・エーテル界・アストラル界・ブッディ界といった様々な自覚や気づきのレベル、仏教では五官六根(ごかんろっこん)・意識・末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)などのレベルと表現された意識界を突破して響いているのが、いわゆる、「アルナーチャラ」である。しかし、物質界を含めすべての神々や阿羅漢・菩薩や如来界など一切の意識界を突破している「アルナーチャラ」は、逆に、こういった意識の種々相を振動させる故に、響きとなって本質(体)が現象(相)となって、刻々に創造(用)されている世界を顕現させている。しかも、顕現している世界はどのレベルであろうとも、作られた所の世界(所作)なるが故に刻々に生死流転している。神々や仏菩薩の如来界といえども創出された世界である限り、生死流転、上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)(上昇下転(じょうしょうげてん))の輪廻界である。ブッダは輪廻解脱(りんねげだつ)をおときになられたがそれは「アルナーチャラ」すなわち「阿字本不生」を覚られた。すなわち、時空の概念を打破して「つねにいま」を示されたのである。
時空そのものは、世界という枠内で条件付けられている或る中心点をもって、過去・現在・未来。あるいは、ここからあそこという空間移動の運動的概念上の計測によって、仮に設けられた比較概念でしかない。ピンポン玉から見れば、地球は巨大なボールであるが、その地球も銀河宇宙の中では塵に等しい。かと言って、ピンポン玉といえども、素粒子から見れば無限大である。現実はどこまで行っても極微なる世界が続き、どこまで行っても極大世界が無限に続く。つまり、中心を持つ限り、普遍性は掌握し切れない構造なのである。もちろん科学の進歩に伴い、これまでよりは飛躍的に極大極小を計測観察できるようになったが・・・。これは、次元においても同様で、1次元・2次元・3次元・4次元・・・・とどこまでも下部を含み超える次元世界であっても、その次元の枠内という条件付を免れえない。この条件付けに縛られないものを「アルナーチャラ」「阿字本不生(あじほんぷしょう)」というのだが、もちろん概念的に説明できるものではないし、思弁的に理解したり、それを神と同一だと信仰してわかるものでもない。逆に信仰は迷妄に陥りやすい。なぜなら、世界に囚われたものの信仰であるから信仰ではなくとらわれである場合が多いからである。
しかし、では、「アルナーチャラ」は、全く、把握できないものなのかというとそうではない。刻々の現実の中に「アルナーチャラ」は響き、踊っている。たとえば、何億光年先の離れた星の光は、この世の自分がいきている間にその星の光に会うことはできないかもしれないし、めぐり合ったとしてもその光が届いたとき、すでにその星は消滅しているかもしれないが、しかし、この私という限られたものは到底知ることはできなくとも、いまこの瞬間、刻々に在り、響いている。いまここはどこにあってもいまここである。あらゆる世界はいまここで顕現している。それを、いまここで「私・私」すなわち真我なる不生の仏心で生きることができる。刻々とは、歴時的でありながら、消滅の顕現性において常にいまである。常に更新されいまを、刻々という。「アルナーチャラ」は、まさに、大宇宙の構成原理である地大・水大・火大・風大・空大・識大をもって振動させ、刻々のいまにその本質(体(たい))を現象(相(そう))化し、創造(用(ゆう))せしめている。
世界は相変わらず混沌としている。一部の者の理不尽な行動に、天災や人災、事件や事故、世相の混乱と苦悩はとどまるところを知らない。全地球上を覆っているあらゆる生きとし生けるものの苦悩の嘆きを癒すかのように、静かに、不動の力でもって、いまここに、刻々に響いている「アルナーチャラ」の聖なるスタンザ・祈りの詩が響いている。
現実の理不尽な厳しさの前に絶望するなかれ。あらゆる魂をすべて霊性を「アルナーチャラ」は不生より救い給うなり。この世にあろうとも彼の世にあろうとも、響き渡るあの声。静かに耳を澄ませ、心眼を開きみよ。かすかな響きが、強大な不動の響きとなって、君を救う、あの生きる力と創造力の源であるあの「アルナーチャラ」の響きを聞きなさい。
ラマナ・マハリシのアルナーチャラの詩(スタンザ)
 この宇宙は何の中に存在するのだろうか。このすべては何なのだろうか。   それは何から生じたのだろうか。何のために、何によって、それは姿を現した のだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我(阿字本不生)だけがその原因である。

 真理の内に存在するものは
 真我のみである。
 世界や個人の魂、そして神は、
 真我の内に現れる。
 これら三つは、同時に現れ
 同時に消えてゆく。
 
水は海から雲のように舞い上がり、その後雨として降り注ぎ、流れとなって海に舞い戻る。水がその源に戻るのを妨げる事が出来るものは何もない。 同様に、あなたから湧き上がる魂が再びあなたと一つになる事を妨げることはありえない。それは途中で多くの渦の中を迂回するけれども。地上から飛び上り、空に向けて舞い上がる鳥は、空中に休憩の場所を見つけることが出来ないので、再び地上に戻らねばならない。そのように実際、すべてのものは自分の道を引き返さねばならない。そして、魂がその源へと帰る道を見出すとき、それは沈んであなたの中に吸収されるだろう。ああアルナーチャラ! あなた、至福の大海よ!

萬歳楽山人 龍雲好久