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作成日:2011/07/06
心の通信H23・5・7《東日本大震災からの復活にむけて》
 平成23年3月11日14時46分18秒に発生した三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震により、、宮城県栗原市で震度7、震度6強を宮城県・福島県・茨城県・栃木県、震度6弱を宮城県から群馬・埼玉・千葉県にいたる広範囲の激しい揺れを記録し、波高10m以上、最大遡上高38.9mにものぼる大津波が発生。東北地方太平洋沖沿岸部に壊滅的な被害をもたらた。とりわけ、福島第一原子力発電所の事故は国際原子力事象評価尺度(INES)レベル7(4月12日原子力安全・保安院の暫定評価)の重大な事故であり、頻繁の続く震度5強から6弱の余震の脅威ともに、なお、収束しない原発放射能汚染は人々の生活を脅かし続けている。この未曽有の東日本大震災は、死者・行方不明者約26,000人、建築物の全壊・半壊10万棟以上、避難者数は40万人以上、停電世帯は800万以上(平成23年4月28日時点)にのぼっていたときく。
 この凄惨な現実を前にして、すべてを失ってしまった人々の苦悩を思うとき、実に耐え難いものがあるが、そのような中で、自らも被害にあいながら、苦悩する被災者を前にして、支えずにはおれない気持ちで動き出し、必至な思いで奮戦苦闘している方々、あるいは、劣悪な環境のなか、人々の深い悲しみを背に、自らの生命を危険に晒しながら、人類の存亡をかけた厳しい過酷な状況を回避すべく、生命を懸て働いおられる方々、このようなこのような尊い方々は、大勢の被災者にとって、確かに、未曽有の大災害と頻発する余震の脅威なか、さらには収束しない原発放射能汚染に戦慄を覚え、恐怖に慄き、茫然自失たるを得ないのであるが、かすかな光を感じて、たとい自分は無力ではあっても、今、自分の出来ることの一つ一つから始めることで歩み出そうとする勇気と力と与えている。
 しかし、この使命感や家族や肉身に対する強い愛情が仇になって津波の犠牲になったり、被爆の犠牲になっているのであるから、決してこれを美辞麗句で語るものでは済まされない壮絶なまでの厳しい現実であることも忘れてはならないと思う。
 この震災が起きたころ、一人の同級生が亡くなった。満62歳。癌であった。三年ほど前から本人も家族もその病気を知っていたが、少し早い退職をして、畑作や好きな山登りを楽しんでいたという。病院で被災し、結局、医療体制もストップ。我々自身も電気水道などライフラインが寸断され、何がどうなっているかもわからず、ただその場を凌ぐしか術はなかったおりに亡くなった。実はこういう方も多いと聞く。寺は瓦や石塀、墓石などの倒壊はあったが、かろうじて建物は残り使用できる状態であった。この時点ではどの葬儀社も遺体を安置し葬儀を出せる状態ではなかった。彼は寺の客殿に運ばれ、そこで、家族と近くの身内だけでお弔いをさせていただいた。電気が通るまで火葬はできない。彼は小学校の時の同級生で利発な正義漢の旺盛な子であった。実は、私はそのころ、周囲からは不吉な寺にいる穢れたものとして差別を受けていて、笑うことも泣くことも遊ぶこともゆるされない学校生活をおくっていた。それでも、彼だけが、公平に扱ってくれ一緒に遊びに誘ってくれもした。まとめ役の彼が入るときは、私も普通に遊ぶことができた。あれから、それぞれ、進む道も異なり、ほとんど合うこともなく今日まで来て、彼に引導を渡すはめになってしまった。電気が通り、テレビもつき、初めてこの地震の尋常ならざる被害の大きさを知る。そして原発の水素爆発。世界が震撼し、われ先にと国外へ退避する外国人たち。日本はどうなるのだろう。激しい余震はひっきりなし。そのたんびに緊急警報が鳴り響く。そのなかで、天変地異など独り無関係に平然と静かな顔をして眠っている彼を見て思う。
 生きるということはまさにこういうことだなあ。死ぬということはまさにこう言うことだなあと。われわれは宇宙や自然や社会や家庭、そして我が心身という環境の中で生かされ生きている。それらの環境は安定してもいれば不安定でもある。身体が病魔に侵されるように、地球も地震や津波や人災により、生きるにはより過酷な厳しい現実に追い込まれることもある。そのなかで生命を与えられたものは生き続けようとするし、生命の生きる条件や支えを失えば死なざるを得ない。しかし、あの大津波の中ですべてが飲み込まれ流されてしまっても、やがて芽を出し花を咲かせる草木があるように、生命のエネルギーそのものは失われることなく、再生の機会を待って必ず創生する。その力をこの世を去ったものといえど、あるいはこの世に残されたものといえど、全て等しく生死を超えた不生という世界に保っている。たとえ、地球が大爆発を起こして、宇宙の中に雲散霧消するようなことがあっても、不生のエネルギーは、必ず宇宙の何処かで再生する生命力として顕現する力を保持している。生死を超えた生命力をブッダは本不生といわれた。諸行無常なる世界にあって、この不生からもたらされる生命がより良い環境で生き残れるよう叡智を働かせねばならないことを問われているのが今日の最大の課題であろう。
 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマこれらに一貫して流れているテーマは何か。言わずもがなである。これは今後の地球生命の生き残りをかけた課題となってしまった。
 平成23年3月8日。法圓寺のつくばいに再び不可思議な氷の現象が出現した。その記録は残してあるので、この聖体出現のなぞは、いつか解明されるであろうと思っている。この聖体出現はまさしく不生の世界から人類の危機を救済せんとする古代神メタトロンの秘蹟そのものを提示している。その力の源はなんと、ノーボーアリヤアチャラノーダービジャーランジャー。すなわちアルナーチャラである不動明王。それは本不生に立ち帰れという警告でもあった。その三日後、この大災害は起こってしまった。不可思議、不可思議。
 さて、枕経をあげながら、亡くなった同級生を見ていると激しい余震のさなか同級生の彼は極めて静かでで穏やか表情で横たわっていた。不幸にも地震や津波などの被害にあって亡くなった人々といえど、実は、いずれの方々も、みな生死を超えた静寂なる本不生界に落ち着いているのである。メタトロンがそうしてくださっておられる。
 この現実界は、未だ遺体が見つからない人も大勢いる。人も動植物も家も寺もお墓も見な津波で流されてしまって、しかも放射能で全く立ち入ることができないところでは、せっかく遺体が見つかっても、放射能で火葬するも土葬することもできず、汚染のため鉛で包むしかないといわれている。まことに生き残っているわれわれにとっては、凄惨極まりなく悲惨な人類の重荷を背負うことになった。だが、忘れてはならない、われわれの奥には生死を超えた不生の創発エネルギーである叡智が必ず働いており、そして、この叡智が働くためには、どんな厳しい現実に遭遇しようともそのあるがままの現実にきちんと対峙する精神、その悲しみと苦しみと激しい怒りから湧き上がる慈悲や愛の動きからである事を。しかし、この慈悲の発現は自分のことにかまけているうちはわき起これない。自分を忘れている時、初めて起こるものなのであることを。どうか心からの復活を遂げたい。

萬歳楽山人 龍雲好久