本不生といういのち

　この寺は小学校と隣接し、児童館や幼稚園や保育園も近いので、普段は子供たちの元気な声であふれているところである。境内には小さな池や公園があって、やや大きな桜の木が一本と藤棚、池は水が少なくドブ化しているが菖蒲が咲くころが美しい。そこではいつも、喜々としてザリガニ取りに夢中の子供たちで溢れており、幼子を連れた母親やお年寄りがのんびりと談笑している。
　しかし、あの震災以来、境内の様子はすっかり変わってしまった。全く、誰もいない。公園の滑り台やシーソーなどすべての遊具はブルーシートで覆われ、「ここでは当分の間遊ばないこと」と表示が張られていた。役場からの話によると汚染度が高いのだそうだ。
　芝生の美しい校庭は最近土もろとも削り取られ、グランドの一角に埋め込まれシートがかぶせられている。
　朝、本堂の戸を開け放つと、どんな暑い日でも、すがすがしい。小鳥たちも鐘や読経につられて集まってきて、チチチと賑わうのだが、この豊かな山川草木はすべて汚染されてしまった。目には見えないがガイガーカウンター線量計は、いつも汚染の厳しい現実をありのままに示す。
　大震災に遭うたびに、我々は決して盤石で安全な場所に生きているのではないことを思い知らされる。というより、やはり我々がその存在の基盤としている地球も生きた動く存在であり、ちょっとした動きでも、その上で生活している小さな生命体にとっては計り知れない災害となって襲いかかる。地震も、津波も、大河の氾濫も決して特別なことではなく、いつも起こるものであった。その脅威は、もっと広大な宇宙の中からもやってきていた。流星や隕石がぶつかって地球に大氷河期がやってきて恐竜が絶滅したり、マンモスが絶滅したり、地球の歴史では新しい記憶である。360光年先のオリオン座の星が最後の大爆発を起こして死滅する瞬間をとらえようと、世界一の計測器カミオカンデでいち早くその星からのニュートリノの量を補足して世界中の観測システムでもって、その星の最後をとらえようとするプロジェクトがあるという。その星が太陽の数百倍の大きさだというから、その大爆発で発せられる放射能は予測できない。この大爆発の余波が太陽系や地球にどのような影響をあたえるのか、喫緊の課題で、余波が観測されるのは2012年あたりかもしれないという。その観測態勢は、科学者や技術者によって何度もシミュレーションされていると聞く。まさに、地球ばかりでなく、宇宙も生きている。地球が誕生して40億年と言われているが、360光年先の惑星の大爆発はこれまでで地球に最も近い星の爆発で、しかも、その余波がどのような形であれ今にも地球に届くというのは、我々の歴史上全く初めてのことであるという。
　しかし、筆者は何もここで終末論を展開するつもりはない。宇宙や地球も我々の身体と同じように誕生・成長・衰退・死滅をを繰り返しているものであり、そのなかで我々のいのちは営まれているのだから、今更、終末論をとなえるまでもない。要は、私もあなたも、そのような生死無常の摂理にたって自己の生命をまっとうするよう覚悟が問われているのである。
　自然の摂理に個人的えこひいきがあるわけでないし、まして、神仏に個人的えこひいきがあるわけがない。なぜなら自然界から見ても、神仏から見てもこの世に生み出されたものは全て自分自身に他ならないからである。
　どんな尊い人でも、どんな立派な人でも、この現象界の無常の因果に触れ得るし、たまたま、せっかく、救われた生命を得ながらも被災地で目先の欲望に心を失い、被爆を知らず盗みに夢中なる愚かな人もいる。家を失い、家族を失い、職を失い、自ら困難な状況にありながら、苦しみ悲しんでいる人々を放ってはおけず、困っている人を懸命に身を粉にして支えている人もいる。自分だけ生き残ってしまって大切な家族を助けらなかった自分を責め続け、動き出せずにいる人もいる。逃げ遅れた人を何とか助けようと引返したばかりに、あるいは少しでも多くの人を避難させようと、身の危険を省みず防災スピーカを続けながら、津波に呑まれた人もいる。放射能の危機と聞いて、さっさと逃げ出した人もいれば、知らずに、必死に炊き出しをして被災者助けているうちに、強い放射能被爆にさらされてしまった人もいる。死を覚悟して災害救助に身を呈している人もいれば、いつまでも収束しない原発の中で怒号を浴びせかけられながら家族を思い、子どもを思い、国を思っていのちがけの作業しなければならない人もいる。この非常事態に何とか自分が働きたいのに、人の世話にしか成れない自分を憤っているものもいる。いつまでも続く余震と惨状、すべてを失って差別と風評の心無い被害に耐え、心を痛め、心を病んで死に至る人もいる。このあるがままの人心を見るに付け、大切なのは、この無常の困難な世の中で何を見つめ、生きて行くかそれを決めるのはその人自身であるということで、一人ひとりが問われているところでもあるということではないだろうか。
　もちろん、これだけ広範で深刻な非常事態に個人ができることは微々たることだが、どんな大きな復興支援策といえども、人という人材を得なければそれこそ回らないどころか、灰燼に帰さざるをえない事態を人が招いてしまいかねないのもまた確かだ。
　この小さな寺では、この度の大きな地震が起こることを予見するかのような不可思議な現象が頻繁に起きていた。その現象が示すところの根幹は常に決定（けつじょう）（はっきり明確に示されていて）して、不生の仏心ただ一つを持って生きよということであった。この無常の世で何が起きようとも、不生の仏心ただ一つを持って、刻々に、今を生きよということであった。その不生の仏心とは、宇宙自然界を常に新生創造している生滅を超えたエネルギーであり、我々の本源である本不生であり、それがあなたにも私にも、この世に生き残る人を通じても、これから生まれてくるであろう生命にも、そして、すでに他界してしまった霊体にも響いてくる叡智であり、如来性であるというのである。
　こういう大変な時期には実にいろいろな現象が起こり、人々の意識が錯綜せざるをえないが、病気と一緒で、進行しつつある状況に気づかないでいるときのほうがもっと恐ろしい。
　しかし、被災された方には酷であったが、大きなエネルギーが放出されて、この危機はかなり落ち着いてくるように思える。
　放射能汚染で、われわれは実に深刻で重たい課題を背負うことになったが、この地球上どこに逃げても、汚染の拡大から逃げられるものではないし、原発の危険性はよりリアルなものになった。そのなかで、既に汚染されてしまったところ、大宇宙や地球自然界の持つ自浄能力と人間を含めた自浄能力と、人類の叡智を傾けて、常に真剣に正面に据えて、後の世代のために取り組んでいかなくてはならない人類生存をかけての課題であろう。
　チェルノブイリの事故はそれこそ日本の原発の比ではない深刻な事態であったが、国家の英断を働かして収束に取り組んだ。日本は遅々としているが、必ず、この問題がこれからの地球人にとって不可欠な生き方を生み出すものと信ずる。その力は、国家とか政府とかいうものよりも被災している人々の力によって、地球全体の意識を総動員するような形で展開するのかもしれない。
　イエス・キリストが十字架に磔られたのは人類の原罪への贖いであった。悪人では贖えない。神の子でなければ贖えなかったのだ。
　ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと原爆放射能十字架に磔られたのは、人類の滅亡を回避できる、最後の民だからなのかもしれない。
　それはともかく、たとえ、あのオリオン座の星が大爆発して（既に爆発している）その衝撃が地球という環境を破壊するようなことがあったとしても、我々の不生性は微動だにせず、再び数十億年かけて地球の如き惑星を整えるべき壮大な力を有している。知ると知らざるとにかかわらず、我々はどの生命もそういうところから常に顕現し続けるいのちでありはたらきであるということを思い出してほしい。
萬歳楽山人　龍雲好久