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作成日:2011/11/08
心の通信H23・11・8《阿弥陀如来と阿字本不生》

阿弥陀如来と阿字本不生

 東日本大震災から8ヶ月が過ぎようとしている。放射能汚染は豊かな自然や農耕民族の暮らしの根幹を揺るがしている。皮肉にも樹木や森に囲まれ、自然に溶け込んだ神社仏閣など清浄なる聖域ほど汚染度は高い。晴耕雨読、自然の中での参禅、自然食・・・何か人生に振り回されがちなわれわれがよりどころとしていた憩いの場が失われている。

 子供たちはもっと深刻である。この頃、ようやく裏の小学校でこどもたちの歓声を時折耳にするが、半ば諦めに近いように虚しく響く。一見、森も自然も小動物たちも何事もなかったかのように、いつもと変わらぬ様相を取り戻しつつあるが、放射能に色が付着しているものだったら、息をすることも、水を飲むことも、食することも、空恐ろしく、生きた心地がしなかっただろう。

 これも大震災の後遺症なのだろうか、ある朝、突然、近くの寺の檀家総代が不自由な身体を引きずりながら、尋ねてきた。聞くところによると、住職が寺を出て行ってしまったというのである。理由は、被災した山門や本堂や庫裡は破損がひどく、とうてい、人が住める状態ではない。修理するにも、これだけ大きな伽藍では莫大な費用がかってしまい、同じように被災している檀家さんたちにさらなる負担と迷惑をかけてしまう。それには忍びがたいものがあり、自分たちがこの寺を出るのが一番良いと判断し、辞任するので後のことは宜しくと、寺の過去帳と鍵を置いて、連絡先も告げずに出て行ってしまったというのである。

 震災や津波や放射能汚染など幾重にも重なる被害を受けて、寺ごと流されてしまったり、檀家さんの7割近くが津波に飲み込まれてしまったり、檀家さん二千軒が散り散りになり避難先が全く検討つかず、住職も寺に戻ることができない寺がわが宗派で県内だけでも28カ寺はある。同級生のある住職は原発で寺に戻ることが不可能だからと東京西巣鴨あたりで就活しているという。そうかと思えば、寺が失われ、住職も家族もその居所がわからない遺骨で本堂が埋め尽くされている寺もあるという。

 先ほどの、寺を出てしまった住職のことだが、土地財産すべて処分したうえで失踪している。震災は出ていくという口実の一つで、もともとは別の問題があったのであろう。震災はこうしたくすぶった問題にも及ぶということだろう。

 実は、事件の翌日8月29日に依頼を受けてこの寺の調べに入った。墓石や石塀、屋根、建物の損壊はひどく、内部の部屋は惨憺たるものであったが家財道具は一切なかった。本尊など仏像仏具類は倒壊したままであった。

 あちこち、調べまわっているうちに、なにか非常な吸引力を感じて、引かれるままに裏堂に入った。そこは位牌堂であったが、正面に丈六の阿彌陀如来が鎮座ましておられ、お顔を拝すると!なんと!その阿弥陀様の御目から両頬をつたって涙が流れておられるではないか!我が目を疑って何度もこすって確認したが間違いない!お涙を流しておられるのだ。(オオ!どうして、このようにお嘆きなのだろう。住職がいなくなったからか)そう訝っていると、声とも言えぬ声、呻きともいえぬ呻き。唸りでもなき唸り、低く、しかし、何よりもはっきりと、「人々の苦悩に、未曽有の大震災に懊悩する魂や霊魂、現世に生き残る者たちの悲しみや苦しみをおもって」泣いておられる!そうはっきりと感じ取れたのである。そのあまりの、もったいなさに、ありがたさに打ち震えてしまい、私自身涙が溢れでるのを禁じ得なかった。(こんな奥に閉まっていてはならぬ!早く人々の目に触れるところにお出ししなければ!今この時にこそ、人々をしてこの阿彌佛の慈光に触れさせえずしていつ触れ得るのであろうか!早く出さなければ。)「本堂に入ってすぐ左奥そこにお祀りしなさい。そこに置けばお参りするものの目に触れ、人々は救われるから・・・」そうはっきりと語られたのである。

 早速、その寺の檀家総代や役員たちにその話をし、職人をお願いして阿弥陀様を移していただいた。そのとき、その大きな阿彌陀如来のご体内に何やら字が書きこまれていることを発見し、調べてみて驚いた。300年前に浄土宗正徳寺の僧によって建立され、200年ほど前に真言宗の僧によってこの寺に遷座されたという旨が書きこまれていた。地震や飢饉の天変地異に苦しむ人々の平安と復興と往生を願って造像され祀られ信仰されてきた阿彌陀如来であった。しかも、そのときの真言の僧侶は二人共、私の世話になっている寺で遷化した僧であることも分かった。 

 不可思議、不可思議。なおも不可思議なことは、早朝、その寺の本堂を開けると、朝日が反射し、阿彌陀如来の後ろ壁に光輪が描かれる。これも初めて見るものだ。阿彌陀如来にかかる虹のように丸く大きな光輪がくっきりと差す。その阿彌陀如来の右脇の窓をあけると、半田山とあの萬歳楽山が望める。この地震でずり落ちた半田山の削られたところは、ここから眺めると、あのつくばいに現れた氷の聖像と全く同じ形の如来様に見える。まるで阿弥陀様か観音様が慈悲の御手をさしのべてお立ちになっているように、はっきりと見えるのである。

 この間、この寺のまもなく百歳になんなんとするかくしゃくとした檀家のおばあさんが尋ねてきて、「こんな年になるまでこんな地震も初めてだが、あれほど頼んでいた戦争で死んだ夫のご法事、これが最後のご法事だとおもってお願いしていたのに、待ってくれといったまま3ヶ月も音沙汰なしで、寺に来てみれば、住職が出て行っちまったなんて、これまで生きてきてこんなことははじめてだ。なんて情けない時代なんだろうねえ」とぼろぼろ泣いておられた。そのおばあさんも、供養が済んで、この阿弥陀様を拝んで、ようやく安心して、孫に手を引かれながら帰宅する後姿を見送りながら、しみじみ思う。

 (この世は萬歳楽山浄土である。世界の数少ない中の浄土である。阿彌陀如来の「あ」は「阿字本不生」の阿。「み」は慈悲救済の「無量の光」。「だ」は「仏陀」。

 おお!なんと!阿弥陀仏の念仏加持護念の本質が阿字本不生であったとは・・・

 この阿弥陀如来の慈悲救済の御力が実際に世の中で作動していることを如実に示されているのかもしれない。汚れた世の中が彌陀の慈光浄土となりますように)と。

萬歳楽山人 龍雲好久