あなたは、つねにいま、本不生に向き合った新たな生命である 

　ブッダ（ゴーダマシッタールダ釈迦牟尼佛＝お釈迦さま）が示されたもので、しかも最も肝心なところである阿字本不生は、この『心の通信』の底流にある、やはり肝心なところでもあるが、しかし、この阿字本不生というものは、われわれが最も理解しがたく、把握できない未知のものとしか言いようがない。そうではあるのだが、この阿字本不生に、我々自身が刻々に向き合うことがなければ、常に破壊と創造の変化変滅を繰り返す大自然界にあって、しかも、また矛盾と混乱が錯綜する人間社会にあって、安らぎを得ることは出来ない。そして、この本不生に向き合えない限り、たとえ、叡智と称する人知や経験結集し、困難な局面に対応しようとして策を労すれども、さらなる混乱と矛盾を内包する死滅の如き人生を歩まざるをえないのである。

　ゆえに、われわれの一人一人がこの本不生に刻々に向き合った人生を生きることがなければ、いかにブッダをはじめ多くの覚者や聖人が世に現れいでたとしても、今日の人間社会の混乱を見れば、一目瞭然、ブッダも真理も神仏も（ただし、宗教を自己欺瞞の喰い物にしているようなもの以外には）全く意味をなしていない。というのも、本来、本不生というものは、喰い物にできるものとは無縁のところにあるからである。これらのことは、そもそもブッダの哲学の出発点にあったのだが、今日、その仏教もすっかり祈りや供犠の宗教となってしまった。というより、苦悩と困難にあえぐ人々自身がそれを求め、それに応えるものとして宗教はできあがってきたのかもしれない。

　だが、いかに勝れた覚者のものであろうと聖者のものであろうと、そこに頼っていては本不生わからない。現実の苦悩を避け、安楽為楽を希求するのみの宗教は宗教ではなく、単なる自我の慰みものにすぎないのである。

　ブッダは困難と苦悩に直面せざるを得ないこの人生のあるがままに向きあうことで、真理を体得することを示されていた。その真理とはとりも直さず阿字本不生であった。

　ここで、諸氏は、「先程から阿字本不生と何度も繰り返しているようだが、いったい、阿字本不生とは何であるのか？」という疑問が残ることであろう。ことよるとすでに密教を研究していて、「ああ、阿字本不生ね」とわかったと思っているかもしれない。しかし、注意せねばならないことは、従来の仏教の流れではこの阿字本不生を正しく理解できていなかった事実が最近の研究によって明らかにされていることを知らねばならない。それに、いくら仏教の専門書を紐解いてみても、あるいは、いかに説明をわかりやすく教えてもらったところで、そこには阿字本不生の説明はあっても阿字本不生そのものを示すものはない。それは、いくらりんごを描き分析した図面やデーターを見たところで、りんごそのものではないことと同じである。

　ブッダは阿字本不生を把握しそこねる最大の原因をわれわれの知覚の構造にあることを指摘されておられるが、そこがまた、ブッダの哲学で最も理解しにくいところでもある。

　それはこうである。

「われわれが外界として知覚に捉えているものを決して常識通りそのまま外界に存在すると認めないで、知覚はされるが、それは存在している実体が変化しているのではないということを理解しなければならない」

　さらに、ブッダは「人々はわがものと執着したもので悲しむ。自分の持っているものは実に常住ではないからである。これは必ず失われる性質のものである、そう分かった以上は世俗に留まっていてはならない。」

　ここでいう「わがもの」とは知覚された後の記憶や経験というとして残る脳に映し出された表象を外界のものと捉え、それを実像化し、それがあたかも現実の存在するものとして、それをわがものとして執着する。観念や精神のはたらきが生み出した虚像に過ぎないものに執着しておっては、本不生を見逃してしまうぞと指摘しておられる。すなわち、われわれがこの人生で自分を含め世界を把握しているすべての知覚対象そのものの認識の虚妄性をしっかりと理解しなければ無明の闇に陥ると指摘しておられるのだ。が、何時の時代においてもここを理解することがわれわれにとって最も困難な事である。しかも、認識の虚妄性は決して現実の虚妄性をいうのではないことに注意しなければならない。

　生滅にあらざる阿字本不生、すなわち「阿字」の「阿」とはインドサンスクリット語の「阿」で「非」を示し、「生滅の虚妄性に非ざる本不生」というのであるが、認識の虚妄性が理解されて、その認識への執着が静まったときに、初めて本不生が顕になる。ところでこの認識の主体は何か。脳そのものは肉体上の感官の機能であるにすぎない。その機能上認識を蓄積し形成させ肥大化させる「自我」こそが認識の主体であるのだが、自我は記憶や経験によって形成されているものであるから虚妄なるもので、実在ではない。あたかも自分が実在していると思うのは認識上の錯覚にすぎない。この自我の活動が静かになった時、あるいはその活動が止んだとき、本不生が顕になる。われわれにとってここの理解が困難なのは、自我と自分が同一化しているからに過ぎない。自我の活動が止むということは自分がなくなること、無我になることと同一ではない。正確には自我の活動が止むことによって非我が顕になる。その非我こそが不生の仏心であり、本不生、如来性である。

　なぜ、今、阿字本不生なのか。東日本大震災から10ヶ月が経つなか、この世に残る者にとっても、あの世にある者にとっても、刻々の今、絶えず新生する新しいいのちを吹き込んで止まない本不生にひたすら向きあってこその人生でありいのちであるからである。

　巨大地震により多くの大切な生命を失い、暮らしを支える基盤が大きく崩れ、生きることの計り知れない困難に直面している。原発のメルトダウンと放射能汚染はわれわれの生活の環境を限りなく汚染し続け、生命は死滅の脅威にさらされている。われわれはいつでも死滅の脅威の中でつかの間の人生を過ごしている。しかし、そういった死滅の脅威にさらされながらもなおも、新たな生命が創発し続ける本不生に生きることが、われわれ一人一人に問われていることが今ここでの問題である。たとえどんな困難に直面しようが、つねに、いま、ある新たないのちに向き合って、全身全霊を上げて生きることにこそ不生の生き方が、如来性の生き方が自ずから現れることを申し上げたかった。その生き様がどのようなものであるかは、私自身が、あなた自身が、いまここで、非我であるいなかにかかっており、非我なるものが顕になるためには、あなたの絶えず沸き起こる虚妄なる認識・自我のあるがままの叫びを自己凝視をすることによって、自我の虚妄性、欺瞞性の呪縛から解き放たれて、初めて、非我なるもの、捉えることのできない本不生・愛・慈悲が顕になる。そして、あなたはそのまま如来のはたらきとして今ここにあることになる。

萬歳楽山人　龍雲好久